2.共感覚の通路
—説明できないものが、絵本になったんですね。そのあたりを、もう少し詳しく教えてください。
荒井:「90年代の絵本を語る」というテーマの公開パネルディスカッションの中で、長年絵本作家として活躍されている方が「これからは、感じる絵本とか、感覚が必要とされる絵本が出てくるだろう」みたいなことを言ってて、すごくよくわかるんだけど「それって今までなかったの?」って思ってね。そういうことを、改めて言わないといけない業界なのかもしれないけどね。
「感覚で遊ぶ」とか「感覚に訴える」って、口では簡単にいうけど、それってどういうことだろう?って、ずーっと考えててね。でも、うまい具合にかたちにならなくって。今は出すタイミングではないな、というのもあったんだけど。 それで、絵本っていうと、文字を読みはじめた小さい子たちに向けてのものだと思われているけど、文字を読めない子どもたちに絵本を見せたらどうなるんだろう?って考えてね。そうすると、いよいよ「感覚」なのかなって。
—「感覚」の絵本ですか?
荒井:そう。それで「感覚」を考えていったら、「共感覚」って言葉にぶつかったわけよ。精神科医の山中康裕先生が1、「今の子たちって、共感覚(センスス・コムニス)2の通路が狭いんだ」って言ってたんだよね。わけのわからないことで何か決定したり、遊んだりすることが、なかなかできなくなってるってことじゃないかと思ってね。極端にいうと、0か1か。子どもたちの中に曖昧な領域が少なくなってきてるんじゃないのかなって。
—「共感覚」についてもう少し教えてください。
荒井:赤ちゃんのときは、誰でもが「共感覚」状態にある。これは、食べ物じゃないから舐めちゃだめ!って言ってもわからないから、赤ちゃんって何でも舐めるじゃない? まだ、いろんなことがはっきりしてないからね。舐めてみてはじめて「あ、これ、食べ物じゃないみたい」って少しづつ学習していく。「これ、食べ物じゃないかもしれないけど、舐めてみたい!」っていう感覚は、成長と共になくなっていくんだ。だから「共感覚」って「五感以前の何か」と言えるのかなあ。