母たちへ、「大丈夫」を届けたい
#017 佐山圭子さんインタビュー
妊娠中と出産後で、自分自身の考えがいちばん大きく変わった、いや変わらざるを得なかったのは、「医療」に対する考え方かもしれません。
外国のハーブティを取り寄せて飲みながら「生まれてくる子にもできるだけ『自然なもの』で身体を整えてあげたい」と思っていたマタニティ期から一転、産後は子の健康を誰かに担保してもらいたくて、どれだけ近所のかかりつけ医を頼りにしたか。そしてひどい皮膚炎に悩まされた長男に、ためらいながらもはじめてステロイドを塗ったときは、翌朝その効果に驚くとともに、やっぱり感謝したものです。
そしてある時思いました、「自然治癒力は大切。でも、医療に自分や子のいのちをゆだねたり頼ったりするのも現実。なのに、どうしてこんなにも私は医療を敬遠してしまうのだろう、医療について知ることなしに病院に行っても、自分や子に必要な治療など受けることはできないのではないか」と。
そんなとき、子の身体を親が診るということについて、そして医師とのコミュニケーションについての指針を示してくださったのが、医師・佐山圭子さんでした。
佐山医師はいま、医療者としてとても変わったスタイルを貫いています。まず、病気を診て薬を処方するといった保険診療を全面的には行っていません。行っている医療行為は子どもの定期健診と予防接種、そして、主に感染症以外の症状(乾燥肌、湿疹、便秘など)に対してです。また、定期的に母親向けの集い「ひだまりクラス」を実施しています。全国でもめずらしい、「予防的クリニック」という立場です。
今回、お話をお聞きし、なにより信頼を感じたのは、佐山医師が「誰かのため」の前に、まず「自分のため」に、こうした立ち位置で活動をされている、そのあり方でした。
あらゆる立場の方に読んでいただきたい内容です。
1.私も「不安な母」だった
玉木:「ひだまりクリニック」は、全国でもめずらしい「予防的クリニック」です。このようなスタイルになったきっかけは、何だったのでしょうか。
佐山:自然になっていたっていうか。こうするほかなかったんですよね。自分のやりたいことを形にした結果、こうなったというか。
私、一人目の子のお産ですごい挫折をしているんですよ。
第一子を出産したのは大学卒業後4年目で、小児科医をしていたとき。まず、切迫早産で10週間入院した末、「点滴を抜いたらすぐ生まれます」って言われたのに産まれなくてね。あの治療(点滴等)はなんなんだ、っていう疑問がすごく残っていたところに39週でお産になったんだけど、そうなったら展開がすごく早くて、ケアをあまり受けられないままお産、すぐ子育てに突入していってしまうという。
―それは病院でのお産ですか?
そう、夫の勤務する病院で。私は新生児ケアが充実しているところに行きたかったんだけれど、東京から静岡に引越しした翌日に切迫早産になってしまったものだから、夫の勤める病院になりゆきで入ることになってね。
新しい土地でまだ友達も誰もいない、頼りの夫も仕事が始まったばかりだし、しかも直前まで当直していたのに、退職後すぐに引っ越したら翌日から安静入院、長い安静入院も大変でストレスでした。27週から37週まで絶対安静入院で、点滴をやめたら出産になるといわれたのに、全く兆候はなく。家でどんなに動き回ってもお産にはならなくって、あの入院治療はなんだったのか、納得できない思いが残りました。
なのに、出産がいざ始まったら早い展開で。朝の妊婦検診で出産になるかもといわれたときはほとんど痛みがなかったのに、お昼から急に痛み出し、3時に一回目の助産師の内診で4cmで「まだまだよ、そんなに痛がって……夜でしょうね」といわれたのに、1時間後には全開と医師に言われ……病棟中大慌てで、全然用意もできていない分娩台にのぼらされて、点滴だの剃毛だのっていろいろ処置を受けて、10分後に「はい、いきんでいいよ」って言われたら、もう2回で生まれちゃったの。しかもまだおまけがあって、会陰保護が十分でなかったのでしょう、会陰裂傷がひどくて、1週間後に再手術をするんです。
―それは……、身体も心も負担が大きいですね。
私、「10週間もいうこと聞いてたのに、なんでこんな思いをしなきゃいけないんだ」っていう納得できない辛さがすごく残っちゃって。そのせいなのかわからないけれど、自分のことでいっぱいいっぱいで、子どもへの感情に自然な母性というものはなかったんです。それがまた、すごくつらくて。自覚したくない思いもあり、自分はおかしな親なのかもしれない、と思えてきたり、でもそういう本音は誰にも語れないし、子育ては待ったなしで始まっていくし、夫に言ってみても案の定、「親としておかしい、こんなにかわいいのに」というようなことを言われるし。
しかもお産がつらかった、って言ったら「医療者失格」って言われたりね。「よかれと思ってやった医療処置がうまくいかないこともあるなんて、医者ならわかるだろう」ってね。
―自らが医師であることによるつらさもあったんですね。
小児科医なのに、という情けなさでしょうかね。今までの経験や勉強は全く役に立たないし。でも、とりあえずはがんばって育てるしかないから必死で、でも自分のなかにどこか違和感というか、母性的な気持ちが育たないっていうことに気づいていたんです。そんな風だから、外に行けば行ったですぐに人と比べて、不安になってしまう。一体自分は子どものどこを見てたんだろうっていうくらい、子どものことを分かっていなかったことに気づかされたこともまた、ショックだった。そんな風に、傷ついて立ち直れないまま子育てしていたんです。今ふりかえると、すごくかわいそうな母子だった。
―ご自身のブログにも、「自分の不安が伝わったのか、当時は子どもも神経質な状態で」と書かれていましたね。
ええ、私が育児不安だったから子どもに伝わったのかなあ、と思う。でも、そんな風に分かるのは、二人目を産んでからなのよね。あ、第一子は、いまはとても穏やかで優しい子ですよ(笑)というか、もう大人になりました。
だから、不安を抱えるお母さんは、自分を見ているみたいなの。そんなお母さんを支えて不安を少しでも取り除くことが、必ず子どもの幸せにつながっていくと考えて、「ひだまりクラス」を実施しています。