#003 鈴木 潤さん インタビュー
絵本を通して見えてくること
いい本屋さんに行くと、本がまちを育てる、というのはこういうことなのだと腑に落ちることがあります。三重県四日市市松本町にたたずむ本屋さん「メリーゴーランド」は、全国にファンを持つ、子どもの本専門店のパイオニア的存在で、もう30年以上も本とまちをつなぎ、育てつづけています。
メリーゴーランドで企画の仕事を長年担当されていた鈴木潤さんには、公私ともにお世話になっていたこともあって、京都に新しいお店を出されると聞いたときはとてもうれしくて、はじめて京都店に足を踏み入れた時のなんともいえない充足感は今でも忘れられません。
今回、お店ができるまでのことから、子どもの本や子どもへの想いなど、じっくりお話をうかがいました。絵本を選ぶ視線の先にあるものを感じていただけるのではないかと思います。
1. あたらしい扉をひらくまで
遠藤:京都店ができるまでのいきさつについて、はじめにお聞きしたいのですが。
鈴木:メリーゴーランドに入って最初の2年間は本屋の雑用をやっていて、その後の10年は企画の仕事をしていたんです。いつも頭の中は本と企画のことでいっぱい。この12年間は無我夢中でした。ちょうどその時期に灰谷健次郎さん、長新太さん、河合隼雄さんと、メリーゴーランドを長い間支えてくれてた方たちが亡くなったりして、オーナーの増田喜昭の意識の中で、自分が今まで築き上げてきたものをどう繋いでいったらいいのかという思いがあったようなんです。
増田は、本屋は地域に根ざすもので、密度の濃い仕事を一人の人間がするには限界があるからと、支店を出すことは一切ないと言続けて30年やってきました。なので新しく店を出すという発想は全くなかったと思います。ある時京都で、すごく古いビリヤード屋さんを見つけて、「こういう場所を古本屋にしたらいいのにな」と増田が言ったら、一緒にいた人が「あんたがやったらいいやん」って言ったのね。その一言で「あっ、そうか」と思ったそうです。本当に思いつきとひらめきの人なので、スタッフは苦労するんですが・・・。かといって、増田が2つの店を行き来するわけにもいかないし、「じゃあ、おまえがやるなら出そう」という話になったんです。でも、わたしは四日市の店でいろんな仕事に総務的に関わっていたので、突然自分が抜けたら店が大変なことになるだろうし、生まれも育ちも四日市で、地元が大好きだったので、四日市を離れるなんて考えられないと最初は思い、相当悩みました。
でもよく考えてみると、よっぽどスペシャルじゃなければ、その人にしかできない仕事なんてないんじゃないかと思い、私の抜けた穴はきっとみんなが協力して埋めてくれるだろうし、私がいないことでまた新しいことが生まれるのではとも思ったんです。うちのスタッフは強者揃いですから。
問題はわたしは本屋業務に関しては、ほとんど素人で、仕入れなど何も分かってない。それでもわたしに店を任せると増田が言ってくれるなら、やりましょうという感じ。覚悟は必要だったけれど、やってみたいという気持ちのほうが大きかったですね。メリーゴーランドっていう大きな流れにとっても、面白いんじゃないかと思って、それで決まりました。
遠藤:決めてからお店をオープンするまで、どのぐらいかかりましたか。
鈴木:増田が言い出したのが3月、オープンしたのが9月。7月に場所を決めました。本当にゼロから不動産屋さんに電話したり、ネットで調べたりして手探りでした。実際に物件を見に行けたのは2回くらい。わたしは一目みてピンとこなければ、話を聞く気も起こらないんですが、増田は、どんなに悪条件の物件を見ても、ここならこんな使い方ができるとか全部にビジョンが浮かぶようなんです。すごいなと思いました。ひょんなことから、ここに行き着いたのだけど。それも今となっては場所に呼ばれたような感じがしますね。
遠藤:この場所に決めたきっかけを教えてください。
鈴木:たまたま、寿ビルの1階にミナぺルホネンが京都店を出したと、雑誌で知って、地図を持っていたんです。「時間が空いたし、じゃあ見に行こうか」と言って、来てみるとレトロで素敵な雰囲気のビルでした。お店のスタッフの方が「5階がギャラリーになってますから、お時間あったら展覧会見ていかれたらどうですか」って言ってくれて、「じゃあ、5階も見ていこうか」って、5階に上がったら、そこのギャラリーで展覧会をやっていた作家さんが、メリーゴーランドのお客さんだったのね。
わたしたちが入っていったら、作家さんがたまたま在廊していて、「あー、潤ちゃんと増田さんが来た!」って大騒ぎになって。そうしたら、その作家さんとギャラリーのオーナーの川嶋さんが「このビルも、もうちょっといろんなお店が入るといいのにね」「メリーゴーランドみたいな本屋さんとかあればいいのに」という話をしていたところにわたしたちがひょっこり現れたそうで、その場は異様な興奮状態になって。
当時、この場所はギャラリーの事務所だったんだけど、オーナーが「8月にここを引っ越したいと思ってたから、店を探しているのならここはどうですか」とその場で言われて。川嶋さんにとっては、メリーゴーランドが何かとか、増田がどんな人だとか、何も知らなかったのに。周りが盛り上がっている中わたしはひとり冷静で、このまま決まってしまっていいんやろかと、いろいろ考えてました。立地が都会過ぎるし、学校帰りの子どもが一人で立ち読みに来れるような環境でもなさそうやし、もっと郊外で、車でも来れる四日市の店のようなイメージがあったから。
でも、わたしが一人でやるんだったら、四日市のミニ版をやったって意味がないんじゃないかとある時思って。だとしたら、立地も全然違うし、客層も絶対変わるし、全く違うもうひとつのメリーゴーランドをつくるなら、やる意味があるんじゃないかと思って。最終的に「ここにしよう」と気持ちが固まったんだと思う。
遠藤:オープンまで一ヶ月、具体的にはどんなふうに進められたんですか?
鈴木:本棚などは全部設計士の人にお任せして、棚の色だけ自分で決めました。この色が好きで、ビルの雰囲気にも合うんじゃないかなと思って。アンティークの照明はわたしが持っていたものです。あとはグアムのホームセンターで買った7ドルぐらいのカーテンとか、はぎれ屋で布を買ってきて、カーテンを作りました。あんまり考える時間もないし、ぎりぎりでやったけど、それが良かった。時間を掛けてじっくりやるからいいものができるとは限らないし、瞬発力とかタイミングを逃さないほうが大事だと思う。
遠藤:同感ですね。瞬発力に頼った方が上手くいくことが多いですもんね。それにしても1カ月はすごいけど・・
鈴木:本も2日ぐらいで選書しました。
遠藤:2日ですか!
鈴木:夏は本当に忙しくて、半分は家にいなくて出張続きなんですね。いつもなら体調崩さずに乗り切って万々歳なのに、それに加えて店の準備と引越もあったので、考える余裕がなかったんですね。考えてたらできなかったと思う。しかも増田は、7が好きな数字ということもあって、9月17日にオープンするって最初から決めてたので。