手の中の記憶をつくる
#009 井口佳子さん インタビュー
都会の一角、大きな樹に守られるようにして佇む幼稚園があります。はじめて中瀬幼稚園のことを知ったのは、卒園までの1ヶ月の子どもたちの様子を撮影した映画『風のなかで』を通してでした。東京とは思えないほど野性的な美しさを持った自然の中で、時折子どもたちが見せてくれる表情は、神々しく輝いていました。本来、子どもとはこのような存在なのだろうと思うと同時に、都会の中で、こんなにも豊かな子どもの時間を守っている「中瀬幼稚園」という場に憧れを抱きました。
今回、何度か園を訪れましたが、そのたびに井口先生は、泥のついた一眼レフカメラをぶら下げて、子どもたちと共にありました。なによりもまず先生自身が子どもたちとの生活を楽しみながら、活動されていたのが印象的でした。「子どもとは何か?」という答えのない問いに、誠実に向き合い続けようとする井口先生のあり方に、多くの学びを得た気がします。
1. 生活と支援

―おかあさんたちが中心になって、被災地への支援をすすめる「支援課」をつくられたと聞きました。どのような活動をなさっているのか、最初にお話いただけますか。
井口:お金を募金するということだけでなくて、目に見える支援をしたいと思ったんです。まずは、福島の子どもたちを幼稚園で受け入れました。その後、6月になって、宮古のボランティアセンターに、個人で登録しましたら、宮古市田老地区の児童館に来てほしいと連絡がありました。実際に現地に入りまして、みなさんとお話する中で「足りないものはなんですか?」と思わず伺ったところ、供養の意味で児童館で盆踊りをしたいけれど、半数近くの子どもたちの浴衣が流されてしまったから、浴衣が必要だということを教えてくれたんです。そのことを園に持ち帰って、おかあさんたちに話したんですね。そしたら、必要なサイズ、枚数を全部揃えてくださって、無事に送り届けることができました。おかあさんたちも漠然とした支援ではなく、具体的なものだったからやりがいを感じられたのではないかと思います。
今度 12月に行くので 10回目になるんですが、2度目にいった時には、仮設住宅のお世話役の方と知り合うことができて、仮設で過ごしているみなさんに必要なものを聞いてまわりました。下着、洋服、エプロン、手仕事をしたい人のために針や糸、そうした細々としたものを送り届けてきました。そうしたやりとりの中で、歌の会をしたいという希望が出てきまして、歌だったら、なんとか私たちでできるかもしれないということで、歌の会も仮設のみなさんと一緒に開くようになりました。
去年の 12月から、職員、父母、子どもたちも一緒に行くようになったんですが、一軒一軒子どもたちが甘酒、飴やカイロなどを配ったりすると、みなさんがかわいがってくださるんです。子どもがいるということだけで、大きな意味があるように思いますね。最近では、知り合った女性たちに手仕事をしてもらおうと、刺し子でちいさなものをつくってもらうようにもなりました。おかあさんたちがすっかり準備してお渡しするんですが、つくってもらったものは販売して、売上は仮設の方々の収入となります。そんなふうにして、ものを集めて送る会、歌の会、刺し子の会の3つを柱に支援を続けています。
―園の日常もありながら支援を続けていくのは、大変ではないですか?
井口:おかあさんたちが協力してくださるから、できることだと思います。それから、支援の内容と園で普段やっていることが、かなり重なっていることも大きいですね。植木鉢に苗を植えて送るとか、花の種を集めて送るとか、幼稚園で日々やっていることが、みんな支援に役だっているんです。日常とかけ離れたことは誰しも続けられないと思うんですけど、幼稚園の中に生活があるから、仮設で不便な思いをしている人たちとつながることができるんじゃないでしょうか。