今回は、幼稚園小学校の同級生で幼なじみである片岡佳奈さんに話をお聴きしました。思春期には、進路や家族の悩みについて、学生時代は、これからどう生きていくのかについて、出産してからは、子どもとの暮らしについて、本当に長い期間、たくさんのことを話してきた ”かも”(片岡佳奈さんの旧姓「鴨川」からついたニックネーム) に、わざわざインタビューという方法で話を聴きたいと思ったことには理由があります。やり残した宿題のように感じていた”あること”について話を聴きたかったからです。
やり残した宿題の話をするために、まずは、私のごく個人的な話からさせてください。
私は、自分の育ちの過程において暴力が身近にありました。また、ごく身近な友人が子育てにつまづき子育てを放棄してしまう出来事を経験しています。そういった出来事を蔑み、そのような加害性は自分とは無縁のものだと思いこんでいました。ですが、いざ自分が出産し子育てを始めると、自分自身にも紙一重の危うさがあることに気づかされました。子育てのどうにもならない不自由さ。気を抜くと支配構造に陥りそうになる、危うい親子の力関係。子どもは本当にかわいいし、子どもの存在は興味深く、尊い。それなのに「子どもと暮らすこと」が、時々すごく不自由で苦しく感じるのはなぜだろうと感じていました。子どもが子どもの時期を健やかに暮らせるためには、何かもっと大人の在り方に工夫が必要ではないかと感じ、子どもの育ちや児童福祉についての活動を始めました。その活動のひとつが、この、こどものカタチでの活動です。この他にも、研究機関に所属して、データや技術の力を使って虐待を受ける子どもやその家族を支える仕組みづくりをしたり、フリーランスとして、児童福祉に関わるNPOの経営企画に携わったりしています。私は、子どもに関わる複数のプロジェクトに関わっていますが、いずれも、子どもやその保護者と直接関わることは非常に少なく、第一線の現場に立つ方と共に何かをする関わり方が非常に多いです。もちろん、これらの活動を通じて子どもや子どもに関わる方に貢献ができている手応えはあるのですが、現場に立っていないこの関わり方は不十分なんじゃないか?そんな後ろめたいような気持ちがあります。
さて、今回のインタビュイーである片岡佳奈さんは、まちの薬局の薬剤師さんです。肩書としては薬剤師ですが、調剤や処方は彼女のはたらきの一部分で、その他にも、障がいを持つ子どもや若者、その家族とたくさん対話し、時間を共にする活動をしています。こういった活動の根っこには、彼女が、精神疾患を持つ父親と生活してきた経験があります。「どうすれば、病や障がいを持つ人が、地域でいきいきと暮らせるだろう?」そんな想いに対して、データを確認したり、仕組みを検討するような、「課題」と向き合うようなスタイルではなく、徹底的に「目の前にいるその人」と向き合う彼女のスタイルに、自分のやり残した宿題のヒントがある気がして、このインタビューを申し込みました。
1. 自分がされたかったことをしよう
橋本:片岡さんが運営されているアサヒ薬局は、茶話会、アートイベント、音楽会などを通じて、病気や障がいと共に生きる親子と地域の方のコミュニティづくりをなさっています。近所の方だけでなく、佐賀県内外から患者さんたちが集っているとお聞きしました。どんな活動をされているのか教えてください。
片岡:アサヒ薬局は佐賀県佐賀市にあるのですが、目の前に佐賀整肢学園(子ども発達医療センター)があることもあり、患者さんの約半分は、県内の障がいのある子どもたちとその家族です。佐賀県内で乳幼児健診を受け、身体や知的障がいの疑いがある際、まず紹介されるのが佐賀整肢学園なので、県内から、なんらかの障がいのある子どもたちがやってきます。診断を受けてから、リハビリに通う子、入所している子、併設された支援学校に通っている子、さまざまなお子さんがいらっしゃいます。障がいの種類も、身体から精神まで、軽度から重度まで色々。患者さんのもう半分は、地域の方や昔からのつながりのある方です。母が20年ここで薬局をしていたので、地域のおじいちゃんおばあちゃんの寄り合い所みたいになっています。となりにあった病院はなくなってしまったけれど、他の病院の処方箋を持って、わざわざここに来てくださる方も多い。いつも誰かがいる。畑でとれた野菜を持ってくる方も多いから、ここにはいつも旬の野菜やくだものがたくさんあるの!
―薬局なのに!(笑)
近所の方でもなく、遠くからわざわざ処方箋を持って来られる方もいらっしゃいます。なかには他県から来られる方もあります。ここで20年やっていると、佐賀整肢学園に通っていた子どもたちが大きくなって、20歳過ぎている子どもさんとその親が、処方箋だけはずっとここに通ってきてくださる。処方箋持ってきて、ゆっくりお茶飲んで話をして帰っていく。そういう薬局です。
―こちらの建物(隣に旧薬局があり、そのとなりに現在運営している薬局がある)ができたのは、いつですか?
1年半前、2017年の12月です。前の薬局が手狭だったので、もう少し大きな薬局を立てようという計画は元々あったの。だけど、ここは普通の薬局とは感じが違うでしょう?当初の計画では「普通の薬局」の大きなものをつくるつもりだったので、こういった形になるまでの過程は本当に大変でした。
―どんな想いからこういった薬局になっていったのでしょう?
たとえばADHDの子どもたちって本当によく動き回るんです。それなのに、旧薬局は動けるスペースが十分でなかったので、他の患者さんに子どもたちが怒られることもあった。ここを建てるにあたって、怒られない場所をつくりたいと思いました。それからもうひとつ、「自分がされたかったことをしよう」と思ったんです。例えば、私がお父さんを医大に連れてといくとき、精神障害がある父と移動していると道中で色んなことで怒られる。本当に大変!怒られながら長距離運転して、ヘトヘトになってなんとか医大についても、また病院でつらい。無機質な病院の中で「自分の心はどうしたらいいの?」って思っていた。だから、ほっとするような癒しの場所をつくりたかったんです。患者さんは、怒られることなく動き回れて、ここで外を眺めてゆっくり投薬できる。家族も、外を見てお茶飲みながらゆっくり話ができる。私は特別に信じている宗教はありませんが、例えるならば、教会のようなイメージ。背負った責任や心配事を一旦下せる場所にしたいなと。限られた土地と予算の中で、どうやったら子どもたちが遊べる場所をつくれるのか?小さな空間の中で、どうすれば想像の世界を広げられるかな?工務店さんや庭師さんと打ち合わせをしました。そこに本の木があるでしょう?これは子どもの居場所図書という仕組みを利用して、リストの中から選びました。子どもの本やピピンさん(佐賀市で活動するNPO法人)や県立図書館や市立図書館の司書さんの話を聞きながら、本当にいいものを患者さんとその家族に届けたいと思って選びました。