編集後記:末永美紀子さん インタビュー

今回のインタビューは、苦しんで苦しんで、書き上げたものです。 一度は編集をほぼ終えたインタビュー記事を、「やっぱり違う!書けない!」と立ち止まり、再インタビューさせてもらって、編集し直しました。(今回の記事は、2017年5月と2018年1月の2度のインタビューを編集したものです。)

“子どもと親の利害は必ずしも一致しない” “親の都合で、障がいを持つ子どもが命を軽んじられることがない社会にしたい” 最初のインタビューの時、末永さんのお話を「そうだ!そうだ!障がいのある子どもの命を軽んじるなんてけしからん!」という気持ちで、深くうなずきながら聞いていました。 ところが、インタビューの編集がほぼ仕上がったある日、事件は起こりました。
ごく親しい友人が、妊娠中にトラブルに見舞われ、妊娠を継続するかどうかの判断を迫られることになったのです。 妊娠を継続すれば、子どもが望むことが難しい体になる。しかも子どもは医療的ケアが必要な重度障がい児となる、と。 この話を聴いた時、私は、口には出さなかったけれど「とにかく友人の体を優先してほしい」という気持ちになりました。 まだ生まれていない赤ちゃん(既にお腹の中で生きているのに!)よりも、友人の未来を選んでほしい。 そんな想いが自分の中に沸いていることに気がつきました。 インタビューの時、「障がいのある子どもの命を軽んじるなんてけしからん!」と鼻息荒く、うなずいていたのに… “重度障害を持つ子どもの子育て”や“母体が危険な状態になること”を、自分には起こらないという前提で、話を聴いていなかったか? 自分は安全なところにいて、当事者の葛藤や苦労を見ないで、正論を吐こうとはしていないか? 自分の偏った話の受け取り方に気がつき、インタビューを公開することが恐ろしくなりました。

それから何か月か経ったある日、勇気を出してインタビューの音声を聴き直すと、当初まとめようとした内容とは全く違うように聞こえてきました。 末永さんは、論理的に、ハッキリとご自身の考えをお話されます。 でも、インタビューを聴き直してみると、そこには様々な厳しい現実に対峙し、葛藤や迷いがあったことも語られていました。 私は、そういった迷いや葛藤の部分を聞き流し、結論だけを、耳障りのいい流れにまとめようとしていたことに気がつきました。 もう一度お話を聴かなくては!と、再度インタビューのお願いをし、2回目(2018年1月)のインタビューが実現しました。 (末永さん、何度もお付き合いいただきありがとうございました。) 2度目のインタビューの際、録音を止めたあとに、末永さんがこんなことをおっしゃいました。(正確ではないかもしれないが、橋本はこのように受け取った) 「ある時点で最善と言われていた手法が、時代が経つにつれ間違っていたと分かることもある。 それでも、その時に最善を尽くして、前に進んでいくしかない。 葛藤や迷いもある。揺らぎもある。 でも、そういうものも抱きしめて、そのときの最善を尽くしていくしかないんじゃないかな。」
実は2度目のインタビュー中も、この後まとめることができるのか不安を感じていました。 様々な葛藤をはらむテーマだから、無自覚に誰かを傷つけてしまうのではないか? 一度目の編集で失敗したように、まだ自分に理解しきれていない観点があるのではないか? でも、末永さんのこの言葉に勇気をもらって、「今の私が受け取ったメッセージを、ベストを尽くしてまとめよう!」と覚悟を決めることができました。 様々な立場の方、いろんな経験をされた方に、このインタビューがどのように受け取られるのか。ドキドキしながら、お届けしています。

(橋本)