#009 井口佳子さん

5. 答えのないことを

園舎裏の「竹の子村」と呼ばれる竹林
園舎裏の「竹の子村」と呼ばれる竹林

― 11月に一週間、「江戸時代」をやってみられたと聞きました。先生も着物で出勤、子どもたちのお弁当はおにぎり、リュックは風呂敷になり、帽子は手ぬぐいになり、靴は草履になり…。江戸週間、とてもおもしろかったようですね。

井口:江戸時代をやってみようというのも、とても具体的な試みだと思うんですね。ものを大事にしようとか、最後まで使おうとか、そういうことを具体化できるわけです。こんな体験が生まれるんじゃないかなと予測して、実践する中でもっとおもしろいことが発見できる。必ず想像していた以上のことが起こります。答えもお手本もない、どうなるかわからないことを子どもと一緒に体験してみたいと思っているのね。そういうことのほうがおもしろいでしょ。時には、ワクワク、ドキドキしなければね。

江戸時代をやってみて、風呂敷がとてもよかったんですね。いろんな使い方ができるし、結んだり、縛ったりすることになりますからね。それから、「紙を撚る」とか「縄をなう」なんていう動作そのものがなくなっていることも改めて考えましたね。動作ができないと言葉も消えていきます。

便利になってくると、やる必要のないことがいっぱい出てきてしまうんですよね。子どもたちが便利さの犠牲になっていると思います。人間は楽な方へと流れていってしまいがちなので、なかなか難しいことですが、子どもの動作が退化しないように、できる限り食い止めなければと思っています。だから、お遊戯会や運動会の練習をしている時間はないんです。全身を使って、めいっぱい動いていたら、あっという間に一日が過ぎてしまいます。

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― 10年前と比べて子どもたちの状況に変化を感じますか?

井口: 10年前とは大きく変わりましたね。ここまで変わるとは思いませんでした。子どものエネルギーが明らかに縮小しています。例えば、10年前は園の塀を乗り越えて、脱走する子どもたちがいました。園の屋根にのぼって降りてこないとかね。でも、いまはそういう子どもはほとんどいません。そして大人たちは、基本的な子どもの生活リズムさえ、守ることができなくなってきています。太陽と共に起きて、太陽と共に寝る、しっかり噛んで食べて、排泄する。こういう基本を忘れて、スイミングや英語やピアノなんてやっているとしたら、お先真っ暗です。

幼児教育が以前にも増して「わかりやすさ」に重きをおくようになっていることにも危惧を感じています。幼児教育の現場は、いろんな意味で社会の縮図で、これからの日本がどうなっていくか、大体想像できます。

 

―子どもたちにはどんなことを感じてもらいたいと思っていますか?

井口:幼稚園で過ごした3年間は、楽しかったなって思ってもらえたらそれでいいと思いますね。とにかく、楽しくなかったらだめですから。

今日畑で、あるお母さんがキバナコスモスの種をとっていたんですが、種をぱっとみて「これ、いい種だ!」って言ったのね。いい言葉でしょ。そのお母さんにとって、種を集めることが楽しみとして感じられているんだと思いましたね。

その言葉を聞いて思い出したんですけど、キバナコスモスの種をいつも集めている女の子がいたんですが、その子が小学校高学年になって幼稚園に遊びにきた時に、コスモスの種を見て「この種、ぼろってするんだよね」って言ったんです。手の中の記憶が残っているんですよね。その子にとって種を集めることは、充実した経験だったんだろうと思いました。手を使ったり身体を使って覚えた記憶は、ずっと残りますからね。ひとりでも多くの子どもたちに、そういう記憶をつけてあげられたらいいなと思っています。

―今日は、本当にありがとうございました。

Profile

井口 佳子(いぐち よしこ)中瀬幼稚園園長、実践女子大学非常勤講師 親から引き継いだ幼稚園、その頃どこの園でも行われていた保育のやり方(今でも多いです)に、これでいいのだろうかという疑問がありました。それからは、記録をとったり、写真をとったりしてきました。特に写真をとって分類し眺めているうちに、子どものことが面白く思えるようになり、子どもとは?人間とは?と考えるようになりました。 幸いなことに素晴らしい先輩の方々、多分野で頑張っていらっしゃる方にも出会うことができました。家族の支えと共に、人との出会いは私の財産です。 そして、今年こそ幼児画についての本を出して、子どもの絵の世界を世の中に伝えたいと思っています。