4.目と目をあわせてつかみたい
遠藤:お話をうかがっていて、子どもにどんな姿勢で接しているのかというところを大切にされているのかなと思ったんですけど、子どもに関わる時に、もしくは絵本を含めて子どものものをつくる時に、大切な姿勢って何だと思いますか?
鈴木:「子ども騙しじゃない」というのがまず一番。子どもはね、騙されてくれるのよ。子どもってこんなものとか。高校生ってこんなものとか、やっぱりそういう先入観って誰にでもあると思うの、わたしでもあるし。でも、本と向き合うときも、考えるときもひとりでしょ。消化するのは自分しかない。やっぱりそのときに、本当に自分の血となり肉となるもの。そういうものを大人が提供できているかどうかは、責任重大だと思う。でも、やっぱりプロになればなるほど、これをしたら子どもが喜ぶとか、感覚で分かっているつもりになりがちだと思う。だけど、「子ども」って一括りにいうけど、年齢だって、経験だって、過ごしている環境だって、みんな違うわけでしょ。絶対的に個人だし、ひとりひとりだと思うから、「子どもは」って語ること自体がナンセンスだと思う。
わたしは、その子がどんなに小さくても、言葉をまだしゃべらなくても、なるべく対等で、同じ目線でありたいと思ってる。その子が本当に読みたいものはどんなものなのか、できるだけ目と目を合わせてつかみたいなっていつも思う。子どもが本を買ってもらえる経験て、大人になるまでに本当にかぞえるほどしかないと思うのね。自分の本として買ってもらえる瞬間が、もしこの店であるのだとしたら誠心誠意お手伝いしたいなと思う。
この間、お母さんと一緒に5歳ぐらいの女の子が来てくれたのね。お店に来たのはその時で3回目だったんだけど、お店に入ってきてすぐに「お姉さんに」って言って、ティッシュペーパーをくちゃっとしたようなものを、「はいっ!」ってくれたの。貰って中を見たら、おかきが入ってたの。手紙には「お姉さんへ。いつも、本買わせてくれてありがとう。本大好き」って書いてあったのよ。お母さんがびっくりしてたから、「おかきでした」って言ったら、「この子が最近気に入っているお菓子なんです」って教えてくれて。すごく嬉しかった。
遠藤:それは、うれしいですね!自分が大切にしているものをくれたんですね。
鈴木:そんなふうに想ってくれていたなんて思いもよらなくて。後でお母さんに聞いたんだけど、贈り物の準備をするために「秘密めいた事をするから、絶対お母さん来ないで」って言ったんだって。秘密めいたことっていうのが、素敵だなぁって思って。子どもってすごいなぁって素直に思います。
遠藤:何となく、子どもだけ切り取って考えることって私には不自然なことのように思えてしまうんですが、じゅんさんはどんなふうに考えられてますか?
鈴木:子どもだけなんじゃないかな。プロの人がいるのって。二十歳のプロとかいないもんね。どうなんだろう?もしかすると資格制度自体が本当の意味ではおかしいのかもしれない。
自分の考えが固まってない人ほど、マニュアルを必要とするだろうし、誰かのまねをやりたがると思うのね。それが、本当に自分に合ってるかどうかとか、やりながら模索できるならいいけど、子どもの反応が良ければOKになって、それで満足している人もいるかもしれない。結局、個人の問題になっていくよね。でも、子どもとかかわるって、学校だって、保育だって、生半可ではやっていけないと思うし、本当に大変なことだと思う。
清水真砂子さんが、青山女子短大の先生をずっとやってらっしゃる理由は明快で、2年間短大で勉強した学生が保育の現場に立つからなんですよね。つまり、その2年間に学生たちとどれだけ深いかかわりを持てるかで、未来の子どもたちがどう育つかが変わってくる。以前お聞きしたときに、それってすごいことだと思ったんです。社会にも出たことがないのに、いきなり「せんせい、せんせい!」って子どもに言われて、そういう日常の中にどっぷり浸ってたら、自分を成長させようとか、自分の個性を伸ばそうとか、そういう思考を持つことさえ難しいんじゃないかって思う。
大人が子どもにできること。大人としての役割ってきっとあると思うんだけど、それを自分なりに考えたり実行してみる気持ちを保ち続けることさえ難しいというか..。そういう社会のあり方そのものが、子どもと大人の問題に大きく関係しているんじゃないかと思います。