8. 既にあるものに出会い直すために
遠藤:リビングワールドのものづくりについてと、西村さんの目から見た今のデザインを取り巻く現状についてお聞きしたいのですが。
西村:リビングワールドでは、自分自身についてのことであったり、自分の身の回りの世界にかんすることであったり、そういう既にあることを感じるための道具づくりを一貫してやっていると思います。
例えば、風灯 1は、風が吹いてるっていうことをあらためて共有するためのメディアをつくるという試みでしたし、センソリウム 2にしてもそうなんですよね。コンテンツを新たにつくり出さなくちゃいけないっていうのは、嘘なんじゃないかと思ってて、既にあるものにもう一回気付くとか、出会い直すだけで十分おもしろいんじゃないかと考えているんです。
デザインについてというと、既にあることであるのに、違いに気が付いたり、それをみんなと共有したり、再発見したりすることに、デザインっていう技法をつかうことはできるなあと思ってるんだけど、何かを売るためだとか、欲しい気持ちを感知するだとか、そういうことのために使われるデザインっていうのは、ちょっとしんどいなと思ってますね。例えば、僕らは食器をつくる気に全然なれないんですよ。
遠藤:それはどうしてですか。
西村:いっぱいあるから。そのラインナップに入っていこうっていう意欲がわかないんです。すごくいい食器もいっぱいあって、照明器具とかも本当にいいものがいっぱいあって、何を新しくつくる必要があるんだろうって思うんですよ。
デザイナーってね、絵を描くのが得意だったり、形づくるのが得意だったりして、自分のそういう得意なところを活かして、社会の中に自分の居場所を得たいっていう願いがあると思う。
でも一方で、これ以上いらないっていうものもあると思う。「ものをつくる」っていうのはゴミをつくることなんですよね。それはどうしたってそうなので、今「ものをつくる」っていう生業を目指すんだったら、たくさんあって、もうこれ以上いらないぐらいなんだけれども、それでもわたしはつくるんだと思える人以外はいらないと思ってるんです。大学は心太式に人材輩出していくけれども、その彼らが全員デザイナーになる必要なんて別にないと思う。でも「デザイナー」ってイメージがすごくあるから、次々に仕事をするとか、また新しいプロジェクトやってますとか、そういう強迫観念の中に、デザインという仕事をとらえていくと、しんどくなってくる気がするんです。
世界はどう考えても高度成長期じゃない。そこをどういうふうに、どれぐらい充実させて生きていくかってことが大事だと思ってて、成熟したからとか、衰退していくからって、不幸せなのかっていうとそんなことないですよ。