子どもにきく世界 「4歳、死を語る」
2011年12月30日(1歳0ヶ月)
わたしに向かってはじめての一歩、歩いた。
2012年3月21日(1歳3ヶ月)
わたしのことをはっきり「アヤ」と呼ぶようになる。
2012年7月4日(1歳7ヶ月)
絵本に描かれたタンポポの綿毛に息をふきかける。
2012年10月15日(1歳10ヶ月)
鳥を指差し、あれはなに?と聞くと、「ちゅんちゅん」と応える。
歩き始めてから言葉を話し始めるようになるまでの様子をこうして書き出して見るだけでも、子どもが日々劇的な変化を遂げていることがわかります。子どもにとって「生きる」ということは、それだけで大冒険なのでしょう。言葉で意思疎通できる3、4歳になっても、(教えなければ)まだ文字のない世界に彼らは生きています。ここがどこなのかも、いま何時なのかも、日本も宇宙もわからなくても、いまこの時を堂々と生きています。
子どもには、世界がどんなふうに見えているのでしょうか。大人は誰もその答えを持っていないはずなのに、世の中には大人による「子ども」ばかりが流通しています。しかし、それはあるフィルターのかかった子ども観を超えられません。整理された大人の言葉に頼りすぎるのではなく、目の前の子どもの未整理だけれど、その「生」をそのままに伝える言葉に耳を傾けると、新しい視野が拓けてくるように思うのです。
そんなことを考えていた矢先、4歳10ヶ月の我が子(Y)が通う保育園で飼われていた山羊の「ヤマ」が死にました。2歳の頃からの付き合いだった「ヤマ」が死んでしまったことを知った日の帰り道、車の中で「ヤマの死」について興奮気味に語るYに、きちんと話を聞いてみたいと思いました。大人への依頼と同じように、話を聞かせて欲しいと相談すると、「うん、いいよ!」と快諾を得て、はじめての子どもインタビューがスタートしました。
◯お医者さんが元気をいれたけど
遠藤:ヤマ(山羊)が死んじゃったって聞いたんだけど、死んじゃったこと、いつ聞いたの?
Y:今日Gちゃんが教えてくれた。お墓も教えてくれた。お墓ね、木がいっぱいはえてるところがあるやん。鉄棒のところの。そこに木がいっぱいはえてるところで、大きいお墓があった。
—大きいお墓の上には何かあるの?
Y:お花が立ってた。
—ヤマが最後どんなだったか聞いた?
Y:うーん。死ぬときは、聞いたよ。お医者さんが何回も来たのよ。でも、でもね。ヤマが倒れちゃった。
—こないだ、おばあちゃんちに行く前にもヤマにお医者さんが来たって言ってたもんね。それからお医者さんが来てたんだね。
Y:爪が、くいってなっとったったい。あのー。前じゃなくて、後ろの足。後ろの足がくいってなっとったけん、そっからバイキンがはいっとったったい。それで、ヤマは弱って。それで何回もお医者さんが元気をいれたけど。元気はいっぱいヤマがでらんかったけん。えっとー。死んだ(悲しそうな顔)。
—ふーん。今日はみんなでヤマのお墓行ったの?
Y:いや。畑のにんじんとだいこん植えとったけん、ぼくだけ行ったのよ。Gちゃんと。
◯どんどん腐っていくと
—ヤマはお墓の中でどうなると思う?
Y:ヤマはどんどん腐っていくと。でね。もうね。ヤマはね。いきられんとよ。
—いきられんってどういうこと?
Y:うーん。また生きていかんってこと。死んだやろ。
—うん。死んだらどうなるんだと思う?
Y:死んだらね。あの、お墓にいれられて、天国にいっちゃうのよ。みんな。最後に。それでね。みんなね。もうおりてこんと。天国にいっとるけんね。だけんね。死んだ人だけの場所ばい。ヤマも死んだやろ。ゼロちゃん(隣家の柴犬)も死んだ。しろちゃん(ヤマの先代の山羊)も死んだ。
—ヤマがいなくなってどんな気持ちだった?
Y:さみしい。だってね、ヤマはね、いまごろおったのに、もうおらんからさみしい。
—いつもごはんあげてたもんね。
Y:うん。いっぱい蚊にさされとったけんね。
—え?蚊にさされるの?(意外な展開に驚く)
Y:蚊がいっぱいヤマのまわりにおったけんね。ヤマは元気がなくなった。山羊は、蚊があぶないんだよね。だから、蚊がいないところに住んだほうがいい。ヤマは蚊がいるところに住んでるから。森の中に。だから蚊がいっぱいいる。
◯大人になるって、そういうふう
—死んじゃうってどういうことなのかな?
Y:死んじゃうって。死んじゃうって。えっと。死ぬっていうのは、目をつぶって、寝っ転がること。ヤマはいっつも起きてたのよ。蚊がいっぱい来てたから。
—でもさ、目をつぶるって寝る時もそうするじゃん。それとどうちがうの?
Y:ヤマはずーっと起きてるの。でね、こうやってる(目をつぶり、寝る真似をしている)。
ヤマは、ずーっと起きてるの。朝はちょっと寝るんだけど、あのー、メーメーっていってるから。かゆいの。かくのよ。つので。やめてっていってるんだけど。でも、かくの。だけんね、だけん元気ないと。
—人間が死ぬっていうのとはちょっと違うの?
Y:ちょっとおんなじなんだけどね。元気が、あの、元気がなくなっていくと。ぼくも元気がちょっとずつなくなっていっとるやろ。
—そうなの(驚き)!?
Y:あの。大人になっていくって、そういうふうでね。ちょっとずつなくなっていくと(少しさみしそうな顔)。おかあさんは、いまあるやろ。
—なにが?
Y:元気が。おとうさんもあるけど。でも、どんどんどんどんおじいちゃん、おばあちゃんになっていくと、元気が少なくなっていって。それで、死ぬの。ヤマも、おじいちゃんになってから死んだの。
—人間は死んだあと、どうなると思う?
Y:人間はお墓にいれられる。ヤマとおんなじように。
—死んじゃった人は、死んだことが悲しいのかな
Y:悲しいことよー(すごく悲しそうな顔)。それは。
—どうして?
Y:あの。悲しい気分になる。泣かないでも、「あー、ヤマがいなくてさみしいなあ」とか。悲しい。大人も痛いときとかえんえんって泣くとよ。悲しい時も泣く。さみしいときはあんまり泣かない。
—さみしい時はあんまり泣かないのね。
うん。あんまり泣かない。悲しい時はいっぱい泣くね。
—それ以外の時は泣かないの?(難しい質問すぎたかな)
Y:うーん….(困った顔)。
たぬきがうんちをしました!うふふー(笑)。
みんなはくさいくさい、いいました。それで、おしまい(笑)。(おどけた様子)
◯神様はおひめさま
—(気をとりなおして)赤ちゃんはどこからきたんだろう?
Y:天国ばい(きっぱり)。
—天国は、死んだ人と生まれる前の赤ちゃんがいるの?
Y:うん。そうよ(きっぱり)。
—一緒に遊んでるの?
Y:遊ぶわけじゃないよー(わかってないなぁという表情)。
—天国には神様っているの?
Y:いるよ(きっぱり)。
—どんな人?
Y:死んだ人。死んで、おひめさま。
—女の人?
Y:そう。女の人よ。
—やさしい?
Y:やさしいよ。でもね、悪いことしたらね、犬がおってからね、おいかけて「ガブ」ってするけんね。犬は、食べると。
—悪い人を?
Y:うん。
—Yも神様にあったことあるの?
Y:ない。死んだ人だけが行くんだもん。
(終わり)