3.”ケアする”とは、どういうことか
―「ケア」という言葉は一般的にもよく使いますが、要するに何なのでしょうか?
末永:ミルトン・メイヤロフの『ケアの本質』という本にこんなことが書かれています。
「一人の人格をケアするとは、最も深い意味で、その人が成長すること、自己実現することをたすけることである」
この本の作者は、絵画を描いたり、小説を書いたりすることもケアだと言っています。そのものが本来持っている在り方において、成長し“それらしくなること”を援助することが、ケアなんです。そこには、教育も保育も看護も介護も医療も治療も、すべてが含まれます。医療や治療は、その人がその人らしくあることが、病気やケガによって妨げられているのであれば、それを治癒するというアプローチ。教育は、子どもが本当に内側に持っている才能や熱意を見出し、その子の力や好奇心が社会の中で満たされるように引き出すアプローチです。
―一般に言われる“ケア”よりも、もっと意味が広いんですね。
末永:そうそう。
それから、ケアというのは、何かを“やる”ことだけがケアじゃないんですよ。そもそも何かをやるためには情報を集める必要があります。そのための“観察”もケアです。
医療でよく使われるフレームに、POシステム(Problem-oriented System)という考え方があります。POシステムでは、まず、はじめに起こっている事実について情報収集をします。例えば、「この子は朝の会で1分は座っていられるけれど、3分目になると立ち上がる」「この歌が始まると耳をふさぐ」そういう事実を集めます。それから、そういった事実のアセスメントとして「この子は耳が過敏で高音域が嫌いなのではないか」という仮説が出てきます。そこで、例えば、その子がもう少し長い時間みんなと朝の会で一緒に居られたらいいな、という状況だったとしたら、「耳はふさいでもいいから、5分みんなと一緒にいられるようにしよう」という目標設定をします。もちろん、「その子自身にとってその場に5分いるという価値がある」という判断をした上で、ですが。ちなみに、「耳をふさがずにそこにいる」という設定してしまうと、目標がふたつになってしまいます。“耳をふさがない”と“そこにいる”のふたつが含まれていますよね。目標は、すぐ実現できそうなものから、やや高めのものまで、様々なものをスモールステップで設定して、計画を立てます。そして、実際にやってみて、何があったのかを記録します。ちなみに、この記録というのは、既に、次のサイクルの情報収集になっています。このように、事実の収集、アセスメント、目標と計画の立案、実施、記録、振り返りは、一連のサイクルになっています。ケアは、何かを“やる”ことだけではありません。
こういった一連のサイクルに沿ってケアを考える時、関わる人が多様なほうが、計画も重層的で豊かになります。
もしも学校の先生たちが、教育指導要領だけにのっとって計画を立ててアセスメントしたら?看護師が、病気かどうかという視点だけで子どもを見たら?数値は問題なくても、本人は、痛かったり、不快だったり、しんどかったりして困っていることもありますよね。
私は、“本人や保護者の生活“という視点を持つことが特に大事だと思います。例えば、医師が「栄養剤を4回に分けて使ってください」と言っても、1日4回その時間を捻出することがどれくらい大変か、親御さんが実際に毎日行えるかを考えなければ、その計画はうまく実行されません。その子と保護者の状況を情報収集して、理解して「1日3回に減らして、その分、1回分の量を増やせないか?」とその子の生活にあわせてアレンジすると、それはちゃんと”その子に沿ったケア“になっていくんです。