4.医療と「自然なお産」は不可分
―三度目の出産も、ご自宅でだったんですよね。
ええ、神谷整子さんという助産師さんにお願いしました。写真、見ますか?このときは、宮崎さんにはお願いしなかったのだけれど、神経質で私を悩ませた赤ちゃんだった長男が5年生になってて、自由研究にまとめてくれました。我が家の家宝です。
そして、どちらのお産にも立ち会ってくれているのが戸井口さんという助産師さんです。マイ助産師というか、大事な大事な友人です。
―かわいい!いい写真だなあー(しみじみと見る)
三人目を産むころには、明日香医院がすごくはやってしまっていてね、月に20人くらいお産を受けていたから、私はそのなかに入れない、って思って。先生の思うようないい子になるのはいやだって(笑)、お産はとにかく自由になりたかったので、この(神谷)先生にお願いすることにして。
―お聞きしていると、どんどん医療から遠いところで産まれているようにも見えますが。
遠くない、遠くないのよ。医療を否定しているわけでもなんでもなくて、医療のサポートがあるからこそ満足できるお産があるの。もちろん、医療的に妊娠経過をちゃんと診てもらっていて、医師から「大丈夫」と言われての自宅分娩です。無理なことは絶対にする気はなかった。ちょっとでも危ないって言われたら、病院で産む気だった。医療と自然な出産は、両立すると思うんです。けれど、最後の最後まで何が起こるかわからないでしょうって、世間からは言われるんだよね。とくに医療者からそう言われるの。
―佐山先生のそのスタンスは、たしかに世間的に見ると少数派かもしれません。どうしても、どちらかに偏ってしまう気がします。
私は、大野先生のところで産んだ直後あたりはたぶん、医療にたいしてすごく不信感を持ってた。不信感というかやはり、自分が一人目のときに受けた、いわゆる「ふつうの医療の処置」が、すっごいつらかったから、大野先生のところで「あれもしなくていいの?これもしなくていいの?」っていうのが、すごくカルチャーショックで、考えさせられたんですよね。剃毛もしなくていい、点滴もしなくていい、生まれたあとの口や鼻からの吸引もしなくていい、いろんなことをやらなくていい、っていうそういう状態で生まれてきて、「じゃあ病院でやられている医療ってなんなの?」って。当たり前に行われている医療処置がつらかった自分が、当たり前と思っていた医療処置を受けなくてもいい、っていうところで、「当たり前」がどれだけ必要なのかっていう気持ちがすごく起こってきた。
だけどね、やっぱり医療に対する信頼っていうのは私のなかで根強くあって。だって、医療っていうのはやはり、助からない人を助けようとか、病気の人を助けようとか、そういう人間の優しい自然な崇高ともいえる気持ちから興っているものでしょう? しかも、歴史を経てどんどん良いものになってきているっていうところに、私は絶大の信頼があって。いや、やっぱり予防接種はしたほうがいい、はしかはこわい病気だよね、って、踏みとどまることができた。だから産後、明日香医院が発行する冊子で、予防接種の大切さについて情報発信していたこともあります。大野先生ももちろんそれを支持してくださっていて。
そんな風に、医療を信じる気持ちは、ある。だけど、医療の対象が感情を持つ人間であるという点が置き去りにされていて、医学やマニュアルに偏っているというか頼りすぎていることに問題があると思った。もっと、人が本当に必要としているものを与える医療であるべきだと、人を幸せにできて初めて医療といえるのではないかと考えています。