3.お産の質と子育て
―第二子出産は、どのような状況だったんですか。
第二子は、のちに「明日香医院」という産科診療所を開業する1、大野明子先生のもとで産みました。二人目を産みたいと思えるまでには、すごい時間がかかって。
第一子出産後は、1歳になるころに、いったん小児科医でなく放射線科に勤めたんです。小児科医は当直も多くて、急な呼び出しも多い科、1歳や2歳の子がいる母親ができるような科じゃなかったのです。放射線科は当直もなく、デスクワークで定刻に迎えにいけました。子どもの成長する力と、周囲に支えられて、子どもも育ち、放射線科で働くか?と思ったとき、やはり小児科の臨床をしたいと思い、実家の近くでサポートしてもらえる病院からの誘いがあり再び小児科常勤医になりました。
その病院では、小児科で心身症を扱うことが多く、摂食障害や不登校の子の担当も多かったのですが、あるとき、摂食障害で入院していたある女の子の言葉にすごく考えさせられてしまって。高校2年生のその子は「頭で考えたら、私は親に愛されてたとは思うんだけど、愛されてた気がしない」っていうんですよ。「(愛された)実感がない」って。その言葉を聞いて、あれ、ちょっと待てよ、って。私はうちの子に、ちゃんと愛された実感をあげているだろうかって思ったらまた、すごく不安になってしまって。そのとき、ああ私、親としても、小児科医としても、ちょっと不十分かもと思い至ったんです。
―親としてだけでなく、小児科医としても不十分だと。
それは、親の心配にいっしょに引きずり込まれちゃって、「大丈夫だよ」って言ってあげられない自分がいたから。親が「心配」っていうと、じゃあ検査しましょう、じゃあ何しましょうって、親の心配をそのまま受け入れちゃって。自分まで不安になってしまうの。なぜそうなってしまうかというと、自分が子育てに不安を抱えているからなんですよね。
で、何が足りないのかって思ったときに、出産がそもそも納得できなかったっていうところにいきついて。それでいろいろ調べて大野先生に出会ったんです。出産は「リベンジ」できるものではもちろんないけれど、次に産むなら納得できる出産をしないとだめだって思ったとき、出会ったのが大野先生で。話で聞いていてもわからないことやそうなの?という疑問はいっぱいあったのだけれど、頭で考えるよりも先に心が反応してしまった感じで。この先生にかけてみたい、この先生を信じてやってみよう、って。
―大野明子さんは分娩台のない、「自然なお産」を支える産科医として知られています。このときの出産は、いかがでしたか。
うん、やっぱり、すごくよかったのよ。(宮崎雅子さんの撮った写真を見せながら)これが私。34歳のときなの。
―わあ、すごく良い写真ですね。
やっぱり、お産が幸せで満足できていると、すごく子育てがスムーズだっていうことを、とても実感しましたよね。お産って言うのは通過点としてすっごい大事だって、両方経験したからこそ言えるのかもしれない。
でもね、今、いろいろ一人目のときの挫折について話したけれど、結局それは、見栄っ張りな自分が招いた結果だとも思うの。夫の病院だったし、大変で取り乱している自分を見せたくなくて、頼れなくて、意固地な自分が招いた悲惨な結果だったのかもしれないなあ、って、今は思うんです。
- 産婦人科医・大野明子氏が開業する「お産の家」。母親の産む力、子の産まれる力を引き出すことに注力し、分娩台も手術室もない産院として注目を集める。現在はOGのお産のみ受け付けている。 ↩