# 016 信友智子さん

4.善き黒子たれ

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お産の現場でのお話を伺いたいのですが、お産の時、先生はずっと近くにいてくれているんだけど、気配を感じない時もあって、すごく不思議でした。まるで、私の身体を深いところでわかっているような絶妙なタイミングでこちらの欲求を満たしてくれて、私が集中したい時には、忍者のように壁に一体化していて、エネルギー量を意識的に落としているのかなと感じました。

いるようでいない、いないようでいる、みたいな感じですよね。産婦さんは、究極の山登りをしてるようなもので、自分の呼吸の音、心臓の音だけを聞きながら、一生懸命、自分と戦いながら登っているんだと思うんです。私は、登る人が自分で物語を紡ぐために、その人のリズムや世界を守りたいと思いながら、自分の呼吸の音とか、「がんばれ」って声をかけたい気持ちとか、そういうのを全部そぎ落として、そこにいる。そんなつもりなわけです。登っている人が立ち止まってて、どうしたのかなと思っても声をかけないで待つ。でも、登る人がふっと振り返る。そういうときにはじめて、少し間をおきながら「水、いる?」「座る?」みたいなね。

産む人のリズム、世界を守る、という発想なんですね。

そうです。

「子が生まれるのを助ける助産師よ。誇示せず、騒ぎたてず、立派にやり遂げよ。こうなるはずだと考えるより、現に起こっていることを、楽に進めるように援助せよ。あなた方が先導しなければならないなら、母親が援助されながらも、自由と自主性を感じられるように先導せよ。そうすれば母親は、子が生まれたとき叫ぶだろう、「自分たちでやったんだ」と。」

これは、私が大事にしている言葉で、2500年前に老子が書いた『道徳経』に書かれた一節です。その当時の助産師は見事にそういう仕事をしていたんだろうなと。

2500年前とは、すごいですね。この言葉で思い出したのが、私のお産の時に、いよいよ赤ちゃんが出てくる前の段階になって、先生が部屋を真っ暗にされましたよね。そのことでより集中が深くなって一気にお産が進みました。まさに、スイッチひとつのことなんですが、すごい効果があったと思います。一方で、視界を遮られるわけですから、あのような決断をするのは難しいことでもあったのではないかと思います。

子宮が十分に収縮しながらお産が進んでいる場合は、産婦さんがお産に集中できる環境をいかにつくれるかが助産師の大きな仕事だと思うんです。遠藤さんの場合、順調に進んでいたし、あともう一息という時でしたので、暗い方が自分自身のリズムにより集中できるのではないかと思いました。少なくとも、お産の最中に明るくして欲しかったという人はこれまでいませんでした。もちろん暗くする前に、ドップラーなど必要な機材を自分の周りに配置して、懐中電灯で時々状況を確認できるように準備した上でではありますが。暗くすることで、私自身もその人の呼吸に合わせやすくなるというところがあるんです。

いま目の前で起きていることの意味をどう捉えるか、一瞬一瞬の判断が要求されますし、とても難しいことのように思えます。

そうですね。例えば、陣痛が緩んで、産婦さんが寝始めたら、医療モデルだと、陣痛が遠のいているから陣痛促進剤を点滴しようかという発想になってしまいがちです。でも、そうじゃなくて、寝るとエンドルフィンがたくさん出て、子宮口が緩むんです。山登りでいうと、第一ポイントでテントを張るようなことで、ファイナルアプローチを目指すために必要なプロセスだと考えることもできる。困った陣痛の遠退きなのかそうでないのか、助産師は見極めないといけないんです。そのためには、なるべくその人のプロセスを邪魔しないための科学が必要だと思います。

待つことは怖くないですか?

恐れを持ちながらも信頼することなんだと思います。長引いたお産の時、赤ちゃんの心音が落ちてきて、きついなという状況になった時に、搬送をどこでするか。とても難しい判断を迫られます。搬送して、帝王切開で無事に生まれてきてくれたら、生まれてきてくれて本当によかった、と思う反面、どこかでわたしの恐れのために、この人のお産をスポイルしているかもしれないと考えてしまうこともあります。ただ、問題が起きていないのに邪魔するのはよくないということは言明できるので、可能な限り待ちます。それから、搬送することになったとしても、産婦さん自身が物語を紡げるように、産後もサポートし続けることが大事だと思っています。

待つ、という姿勢は、そのまま子育てにも通じますよね。

つながると思います。待つことがどれだけ下手になってきているか、というのを感じますね。自分の身体への信頼。子どもという存在への信頼。信頼を持った状態で待つことが、教育の根本ですよね。なぜ待てないかというと、信頼できないからだと思うんです。

子育てしていると、子どものほうが大人を信頼して、待ってくれているように感じることがあります。

最近の研究で、出生直後の赤ちゃんは、おかあさんよりもオキシトシン濃度が高いことがわかってきました。生まれてすぐに、赤ちゃんは無心におっぱいを探して吸い付こうとしますよね。そんなふうに、おかあさんを求める赤ちゃんの愛の力はとても大きくて、その力に引き上げられるようにおかあさんはおかあさんになっていくんでしょうね。

出産と親性・母性の間に何か関連性があると思われますか。

一概には言えませんが、その質問から思い浮かんだ光景をお話すると、本能的にお産すると、おかあさんは赤ちゃんが産まれるとすぐに自分の腕に抱いて、なかなか赤ちゃんを離そうとしないんですね。動物と同じように、野生の力がそうさせるんだと思うんです。自分の中に眠っていた野生が一瞬でも目覚めたおかあさんは、赤ちゃんとの生活、ひいては赤ちゃん自身を、どこか身体でわかる感じがあるように思うんですね。それは、社会的に親になるというだけではなくて、生物として親になる、というような体験だと思うのですが、そういう意味で、お産が果たす役割というのは、一般的に考えられるよりも大きいのではないかなと感じています。

親性がスムーズにひらくためには、自由で主体的なお産が鍵を握っていると。

そう思います。私自身は、子どもを産んでいないんです。産んでいない私からみても、主体的なお産をした女の人は、とても幸せな感じになるように思うんですね。これまでの経験から、そう言えるんじゃないかと思っています。

Profile

信友智子(のぶともさとこ)
助産師・春日助産院院長

開業助産師の二女として育ち、大学で助産師の資格を取得。卒業後、神奈川県の北里大学医学部付属病院産科病棟に勤務。1984年からは福岡逓信病院産婦人科病棟に勤務する傍ら、春日助産院にも勤務。2年後に病院を退職。1998年、イギリスのテムズバリー大学助産学修士コースカリキュラム終了。2005年、春日助産院の2代目院長に就任。2014年、新たな助産院の展開を目指して、同県秋月に茅葺きの家を建て、自然豊かな環境で生命を迎える「春日助産院 秋月養生処」を開院。2011年、第33回母子保健奨励賞を受賞。

春日助産院HP