夫婦別姓訴訟と子ども

16日に合憲判断が出た夫婦別姓訴訟の最高裁判決文を読みました。合憲判断とだけ聞いた時には、かなり落胆しましたが、判決文を読むと、少し気持ちが変わってきました。15人の裁判官の中で、5人の裁判官は違憲意見を出しています。

違憲意見を出した、岡部喜代子裁判官の意見を一部抜粋して掲載します。

氏は名との複合によって個人識別の記号とされているのであるが、単 なる記号にとどまるものではない。氏は身分関係の変動によって変動することから 身分関係に内在する血縁ないし家族,民族,出身地等当該個人の背景や属性等を含 むものであり,氏を変更した一方はいわゆるアイデンティティを失ったような喪失 感を持つに至ることもあり得るといえる。そして,現実に96%を超える夫婦が夫 の氏を称する婚姻をしているところからすると,近時大きなものとなってきた上記 の個人識別機能に対する支障,自己喪失感などの負担は,ほぼ妻について生じてい るといえる。夫の氏を称することは夫婦となろうとする者双方の協議によるもので あるが,96%もの多数が夫の氏を称することは,女性の社会的経済的な立場の弱 さ,家庭生活における立場の弱さ,種々の事実上の圧力など様々な要因のもたらす ところであるといえるのであって,夫の氏を称することが妻の意思に基づくもので あるとしても,その意思決定の過程に現実の不平等と力関係が作用しているのであ る。そうすると,その点の配慮をしないまま夫婦同氏に例外を設けないことは,多くの場合妻となった者のみが個人の尊厳の基礎である個人識別機能を損ねられ,また,自己喪失感といった負担を負うこととなり,個人の尊厳と両性の本質的平等に 立脚した制度とはいえない。

多数意見は,氏が家族という社会の自然かつ基礎的な集団単位の呼称である ことにその合理性の根拠を求め,氏が家族を構成する一員であることを公示し識別 する機能,またそれを実感することの意義等を強調する。私もそのこと自体に異を 唱えるわけではない。しかし,それは全く例外を許さないことの根拠になるもので はない。離婚や再婚の増加,非婚化,晩婚化,高齢化などにより家族形態も多様化 している現在において,氏が果たす家族の呼称という意義や機能をそれほどまでに 重視することはできない。世の中の家族は多数意見の指摘するような夫婦とその間 の嫡出子のみを構成員としている場合ばかりではない。民法が夫婦と嫡出子を原則 的な家族形態と考えていることまでは了解するとしても,そのような家族以外の形 態の家族の出現を法が否定しているわけではない。既に家族と氏の結び付きには例外が存在するのである。

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私自身は、法律婚を選び、戸籍姓は夫の姓になっていますが、旧姓である遠藤を通称として使用してきました。今年は、育児休業を取得したことで、戸籍姓を名乗る機会がこれまでにないくらいに増えました。家族単位で何かする時は戸籍姓を使用しますし、保育園など子どもに関わる連絡も全て戸籍姓を使用します。この一年間、これまで姓をたずねられた時に、とっさに出てくるのは旧姓だったのに、そうでない場合も増えてきました。その変化を、ああそうかと冷静に受け止めつつも、違和感を拭えませんでした。どこか自分の一部が侵食されていくような感覚があり、これがアイデンティティの揺らぎというものなのかなと思いました。「違和感」がどこから来るのかを思い巡らしてみると、旧姓に特別な思い入れがあるというわけではなく、私の場合は多分、法律婚すれば女性が改姓して当然、という社会的通念をそのまま受け止められない、ということなのだと気が付きました。
その社会通念こそが女性差別だ、などと声高に言うつもりはありません。結婚によって改姓することを喜んで受け入れている女性だって大勢いるし、それはそれで否定されるべきものではないと思います。ただ、自分がそれを選択するかどうかは別としても、夫婦が別の姓を選択したい場合は、選択できる社会であるほうがいいと単純に思います。それが、たとえ一握りの人たちだとしても。その人たちの選択が認められる社会のほうが、より豊かだと思います。そうした価値観を理解できなかったとしても、認めることはできるはずだと思うからです。

このことを子どものカタチのサイトにブログとして掲載する意味についても考えました。選択的夫婦別姓は、直接的には子どもには関わらないように見えます。でも、女性への差別的観念と子どもへの差別的観念は、密接に結びついているように私には思えたので、この場所で考える意味があると思えました。

先日、CAPセンタージャパンが主催する「子どもへの暴力防止のための基礎講座」に参加してきました。その中で「子どもがなぜ暴力にあいやすいのか」についても学びました。子どもに向けられる様々な暴力の根本には、いくつかの理由があげられていましたが、その中に、対大人との「力の不均衡」があって、力の不均衡は、男性と女性(父と母)の間にもあり、それらは入れ子状になるように複雑に絡み合っていること。そうした不均衡に無意識であること、力の使い方の混乱が、家庭の中で暴力的関係を増殖させていくのだということを改めて意識しました。そうすると「夫の氏を称することが妻の意思に基づくもので あるとしても,その意思決定の過程に現実の不平等と力関係が作用しているのであ る。」という岡部裁判官の意見が、さらに胸に迫ってきます。「認めない」ではなくて「認める」「認めようとする」意思を子どもたちにつなげていくためにも、一市民、一母親にできることはまだまだある、という気がしています。(多分、まずは日々の子育ての中から)

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今年は、女子差別撤廃禁止条約の批准30年の節目です。(条約に批准したということは、国がその条約や規約の内容に同意し、その趣旨に添うように尽力することを、公に国内外に約束すること)日本政府は、夫婦に氏の選択を認めるべきと何度も女性差別撤廃委員会から勧告を受けています。来年2月には、国連女性差別撤廃委員会が日本の報告書を審査するそうなので、委員会の見解の発表など今後の動向に注目したいです。

女子差別撤廃禁止条約第16条の1(g)
締約国は、婚姻及び家族関係に係るすべての事項について女子に対する差別を撤廃するためのすべての適当な措置をとるものとし、特に、男女の平等を基礎として次のことを確保する。
(g)夫及び妻の同一の個人的権利(姓及び職業を選択する権利を含む。)

外務省のHPの女子差別撤廃条約実施状況 第7回及び第8回報告には以下のように書かれていることも共有しておきます。

男女共同参画会議監視専門調査会は、2013年11月監視専門調査会意見にお いて、今般の民法改正法案にとどまらず、婚姻適齢の男女統一、選択的夫婦別氏制度の導 入及び再婚禁止期間の短縮に係る民法改正及び出生届の記載事項に係る戸籍法の改正につ いて、引き続き法案の提出に向けて努力する必要があるとした。さらに、選択的夫婦別氏 制度に関しては、その意義や想定されている内容、氏の選択に関する現状等について広く 情報提供することなどにより、国民各層におけるより深い理解を促しつつ、その議論の裾野を広げるよう取り組む必要があるとした。

 

<参考になりそうなリンク先>

別姓訴訟を支える会
最高裁判決文
女子差別撤廃条約
選択的夫婦別氏制度について(法務省)
女子差別撤廃委員会(CEDAW)の第15代委員長、林陽子さんのインタビュー(国連)

(遠藤)