ふたつの身体が離れるとき

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8月に第二子を出産しました。
6年半ぶりの出産で、すっかり赤ちゃんとの暮らし方を忘れているので、ひとつひとつ思い出しながらお世話している今日この頃です。

小学一年生と生後2か月の赤ちゃんを育てていると、子どもの成長を少し長い目で見られるからか、不思議と一人を育てていた時よりも気持ちに余裕が生まれています。
赤ちゃんの夜泣きは「こんな時期はとっても短いからしっかり味わいたい」と思うし、小学生の口ごたえには「こんな言い回しもできるようになったのか!」と感心したり。

子どもの成長は毎日の連続した変化でありながら、子どもの在り方はその時期時期で劇的に違います。 特に、0から1歳までの時期、保育園生(幼稚園生)から小学校にあがる時期、思春期は激動の時期。 例にもれず、娘も小学校に入ってからグンと変化し、すっかり「幼児」から「少女」になってしまいました。
親が踏み込めない部分が大きくなり、戸惑いながら接しているところです。

乳幼児期は、週末の予定や購入する本を親が決めることも多く、子どもの環境を決める主導権は親にあります。 でも子どもが小学生になると、子ども自身が、誰と会うか、どこに行くか、何をするかを決めるようになります。 身近なことだと、休み時間の過ごし方、放課後の過ごし方など。 当然、娘は親と違った価値観で判断するので、私なら選ばないような選択をすることも。 そんな時、口出しすべきでないとは思いつつ、ついモヤモヤ… と、ふと気が付きました。

よく「子どもは親の所有物ではない」と聞きますし、私もそう思っていたつもりだったのですが、そうじゃなかった! 自分の中に、ほんのわずかに、娘を自分の所有物かのように思う気持ちがあったことに気がついたのです。
正確には、自分の所有物というよりは、「ふたつの身体を二人で所有している」ような感覚。 そして、そう思っていたことを自覚した瞬間、自分と娘が完全に分離し別の人間として歩み出したことに気がつき、しんみりしてしまいました。

「ふたつの身体を二人で所有する」 こういう感覚は、単純な親のエゴとも言い切れず、きっとそれはそれで子どもが乳幼児のうちは必要なものなのかもしれません。 そもそも、子どもを自分の一部かのように思う心持ちがないと、乳幼児のお世話なんてつとまらない! 最近、赤ちゃんのお世話をしていてそう痛感するのです。 ただ、子どもは変わっていく。 学童期が来れば、親とは完全に別の人間として、自分で考え決め行動するようになっていく。 子どもが次のステージに進んで行く時、親だって同じように次に進んでいかなくてはならないのでしょうね。
さて、これから小学生の娘とどんな関係を築いていこう? 模索しながら、今日も年の差育児に励んでいます。

(橋本)