続お産日記

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妊娠したことがわかった時に、すぐに頭に浮かんだのが「春日助産院」だった。でも、調べてみると、新しい場所に移転するために閉じられた後で、いまはもうお産を受けていないらしい。だめもとでお電話してみると「そのころにはもう移転しているでしょうから、大丈夫ですよ」とのお返事だった。そんな幸運なめぐりあわせでスタートした妊婦生活も、30歳での出産だった一人目と違って、山あり谷あり。そこは年齢がモノをいう、フィジカルな世界。長男の時は全くなかった悪阻も経験し、腰痛に貧血、逆子、その他諸々…。仕事も忙しい中での妊婦生活(産後はもっと大変だった!)は、思っていたよりきつかったけど、智子先生にハーブや鍼灸、体操など、いろんな手立てを教えてもらいながら帆走していただいたおかげでなんとか乗り切ることができた。

先生にはじめてお会いしたのは、夫と長男と3人でのカウンセリングだった。わたしと夫の家族構成、長男の出産の時のこと、どんなふうにお産を迎えたいか、食生活、仕事などなど、先生はジェノグラムを書きながら聴き取られ、その後、助産院でのお産について、リスクについてなどお話された。それからは、提携病院に通い、必要な検査を受けた後、先生に自宅に往診してもらう格好での妊婦健診と提携病院への検査のための検診とを重ねていく。出産目前の9月に完成した秋月養生処で、一泊二日で行われたマザークラスには家族で参加した。お産が近い妊婦仲間と一緒にお産に向けて身体や母乳育児、赤ちゃんについて学び、母乳のためにいい食事を実際につくりながら教えてもらい、夜になったらロウソクを灯して食卓を囲む。一度泊まって、夜のその場の雰囲気も含めて体験できたことで、お産の当日、より安心した状態で臨むことが出来たのだと思う。特に、体験の数がまだまだ少ない子どもにとって、どんな場所で何が起こるのかを想像できることはとても重要だし、子どもが安心しているという状態がわたしに良い影響をもたらしてくれた。

長男が立ち会うことについては、夫と話し合って本人に意見を聞いて決めることにした。まずはお産の絵本(『うちにあかちゃんがうまれるの』)を一緒に読んで、どんなことが待ち受けているのか具体的に共有することからはじめた。その後、長男の出産前後の写真をまとめたアルバムを見ながら話をして「赤ちゃんが産まれてくる時に、おかあさんは大きな声を出したり、ふつうじゃないようになることもあるの。でもそれは、赤ちゃんががんばって出てこようとするから、一緒にがんばるために必要なことなの。おかあさんとおとうさんと一緒に赤ちゃんを迎えることもできるし、おかあさんから離れておとうさんと一緒にいることもできるよ。どうしたいのか、自分で少し考えてみてね」と伝えた。しばらく経ってから、またお産の絵本を読んだ後にどうしようかとたずねたら「僕も一緒に赤ちゃんを迎えたい」と答えたので、そうしてみようと決めた。産後も長男がいつも通りのリズムを壊さないように、両親や友人、ファミサポさんにも協力をお願いして、いろんなパターンに対応できるように準備した。

産後の反応はどうだったかというと、しばらくの間、遊びの中でお産の体験を何度も繰り返し表現し、そうすることで体験を消化しようとしていたように思う。例えば、車のおもちゃを手にしながら、お産の時の母の声を真似するような声を出した後、「車が あかちゃん うんだ」といってもう一台別の車を持ってくる、といった「生まれるごっこ」を繰り返していた。それから、お風呂や寝る前の時間には、いろんな質問を受けた。「おかあさんは赤ちゃん産む時、痛かったの?悲しかったの?」とか、「赤ちゃんはおなかの中でごはんどうしてたの?」などなど…。ちなみに産前は少しあった赤ちゃん返りのような言動や行動は、産後(いまのところ)出ていない。

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長男の出産体験からわたしはずっとお産について考え続けている。文化人類学的観点から見ると、お産は女性の通過儀礼のひとつとして捉えられていたりするけれど、わたし自身まさにあの日を境に一変してしまったと思う。大げさかもしれないが、女性は「産む」ことによってもう一度生まれるんじゃないだろうか。それと同時に赤ちゃんも生まれてくる。ひとりの人の体験が、個に閉じられず、他者の発見と承認につながっているところがすごい、と考えれば考えるほど興奮気味にそう思う。「産み、生まれる」現象の不思議さに捉えられつつ、視野をひろげてみると、お産の周囲にはさまざまな問題が重なりあっていることも見えてくる。

いま、この国でのお産の98.9%が医師のいる施設で行われている。わたしが経験したようなお産は、とても少数派で、帝王切開率は19.2%。吸引分娩や鉗子分娩、陣痛促進剤の使用を加えれば半数程度、会陰切開までを医療介入に数えれば、日本のほとんどすべての母と子がなんらかの介入を受けてのお産を経験していることになる。

病院51.8%
クリニックなどの診療所47.1%。
助産院0.9%
自宅・その他0.2%
(2011年母子保健の主なる統計)
2011年帝王切開率19.2%。(朝日新聞2013.8.11)
2011年までに国内の体外受精で誕生した子どもの累計は、30万3806人。(共同ニュース 2013.10.15)

産む場所が少なくなり、地域によっては選択することすらできなくなっている。経済的な理由で選べない人たちもいる。もっと言えば、産まない人、産めない人も増えている。複雑化していく現状を前に、誰かを傷つけることになりそうで、自分の経験を語ることすらできなくなってしまいそうだけれど、それでは何も変わらない。ただ、個々の体験を語るだけ、というのもちょっと違う。そんなことを考えていたときに、森崎和江さんの本『いのちを産む』に出会い、社会文化人類学者のシーラ・キッツィンガーさんの言葉に出会った。

「私たちは、近代的な観念である「自己」をどう超えて、「他者」とともに「類」を生きようとするのでしょう。私は、今は、人びとが「いのちを産む」ことを、いかに思想化するかが、その手がかりのひとつと思っているのです。もちろん、それは産まない、産めない個人をも含み、子どもも老人もそれを意識してこそ、生物一般を含めた自然の循環系を、生活思想とし得るのだと思っています。」

森崎和江「いのちを産む」より

「どんな方法で出産するかということは、その人がどんな社会をつくろうとしているのか、つまり、どのような人間になりたいのか、どのような家族をつくりたいのかという問題に深く関わっています。私たちが信念にもとづいて、新しい方法を選び取る責任を放棄することは、私たち自身と子どもたちが生きていかねばならない、この社会に対する責任を放棄することに他ならないのです。」

シーラ・キッツィンガー「ニュー・アクティブ・バース 序文」より

個別な事柄から出発しつつも、そこにとどまらず「産むこと、生まれること」を考え、語り、語られることが、必要なのではないか。そのために、自分にできることはなにか考えていきたいと思う。

いま、春日助産院、信友智子先生のインタビューをまとめています。
自分で言うのもなんですが、これまでにないロングインタビュー。かなりよいものになりそうです。