4.「社会的装置」として引き継ぐ
—多田さんご自身は子どものころ、どんなおもちゃで遊んでいたんですか?
多田:僕、おもちゃなんてほとんど遊んでないんです。
—お父様の多田信作さん1 も、玩具の研究者でいらして。
多田:だめだめ、うちは、ほったらかし(笑)。外では専門家だったけどね。
—おもちゃは身のまわりにはあったんですか?
多田:ほとんどないですね。僕、家のなかで遊ぶのは大嫌いだったんですよ。外でいつも遊んでたんです。野球とか鬼ごっことか、アウトドア中心型でね、雨が降ってくるとユウウツになるっていう(笑)。唯一遊んだのは、レゴブロックとかコマとか、それぐらいだったかなあ。あとは小学生くらいになると、人生ゲームとか、バンカースなんて知ってる? そういうボードゲームくらいかな。要するに、友達と関わって遊ぶほうが好きだったんですよね。
でもまあ、基本的には、ちょっとでも時間見つけると野球ばっかり。それなのに、水曜日の午後3時になると、ピアノのお稽古に行かされてたんですよ。これがもう嫌で嫌で! じつはね、さっきの、ピアノが役に立たなかったって、あれ、じつはうちのハナシ(笑)。だって、抵抗して絶対に家では練習しませんでしたから。結構長いことやらされましたけど、身につくわけないですよね。モチベーションがなけりゃ、良い道具があっても何も役に立たないって、身をもって実感しましたね(笑)。
でね、大きな声じゃ言えないけど、今も僕、おもちゃはそんなに好きじゃないです。
—えっ!
多田:あのね、おもちゃって、あんまり好きになっちゃうと、こういう、人に遊んでもらうようなおもちゃ美術館なんて、できなくなっちゃうんですよ。
とくに大人がおもちゃ好きだとね、だいたい、コレクションに走っていっちゃったり、あるいは積み木でパフォーマンスかなんかするような人になっていっちゃいがちで。
—俯瞰してみられなくなってしまう。
多田:そう、すごい狭いところにいっちゃう。だから私が、父からこの「東京おもちゃ美術館」を引き継いだとき、おもちゃというものをフィルターにした、ひとつの社会的装置と捉えようと最初から考えていました。おもちゃ美術館=子どもの施設でもなく、「多世代交流の館」であるということを、ボランティアやスタッフで関わる人にも徹底して伝えたんです。そうしてここから、どんな社会的活動を発信できるか。その媒介として、おもちゃを活用しているだけなんです。
- 美術教育の研究者であり、東京おもちゃ美術館初代館長 ↩