上遠恵子さん講演再録「いのち」に軸足を置いて

4.根源は幼年期に

ではセンス・オブ・ワンダーという感性を、彼女はどうやって育んできたのでしょう。
私がこの本を翻訳しながら、またそのあとカーソンの生涯を訪ねながら思ったのは、彼女は幼年時代に、お母さんといっしょに野原や林の中を歩き、小さな虫や鳥、シカや、ピーターラビットに出てくるウサギさんのような生きものたちと出会っています。そういうところで育って得た自然体験が大きかったのだということです。
彼女は1907年に、アメリカのペンシルベニア州、ピッツバーグの郊外のスプリングデールという田園地帯で生まれました。お父さんはピッツバーグの人ですが、開発業をやろうとして果樹園や土地を買い、かなり広い土地を持っていました。
きょうだいはお兄さんとお姉さんがいましたが兄とは7歳、姉とは9歳と歳が離れていたのでお母さんは小さなレイチェルとすごす時間をとても大切にしていました。
そしてお母さんは牧師さんの娘。そのころ1800年の後半に生まれた方にしては珍しく、教員免許をもち、音楽的な才能にとても優れている方でした。
けれども、そのころはアメリカでも結婚すると女性は仕事はやめなければいけないという風潮で、仕事をやめて結婚し、子どもたちを生みました。本当は、もっと社会に対して目を開きたい、仕事をしたいと思うけれども、当時は「家庭に入っていなさい」という状況だった。日本ばかりでなくどこもみんな同じだったのですね。ですから、小さいレイチェルを連れて自然の中を散歩するというのは彼女の知的好奇心を満足させるためにもとてもよかったのです。
じつはそのころ、1900年の初頭、アメリカで「自然学習運動」が展開された時代でした。それは多分にキリスト教的な、神学的な意味があって、「神が作った自然はこのように美しいものだ、そういう自然を我々はもっと知らなければならないし知ろうじゃないか」という理念を起源としていました。これに賛同する人も多かったため、小学生に自然学習ハンドブックを配りました。それを子どもが家に持って帰り、お母さんがたがそれを見て、自分たちも探究しようという機運があったようです。レイチェルが育つころはちょうどそうした機運のなかにいて、お母さんは大いに共鳴していました。社会的にも何かしたいのにできず、鬱々としていたお母さんが、一緒に自然界を探検して生きもの達のさまざまな様子を、時間をかけてじーっと観察することを教えてくれて、一緒に楽しんでくれました。
彼女はそんなお母さんと野山を散歩して、自然界の生きもの達はお互いにかかわりあいながら生きているということ、それによって自然ができているということを、体験的に理解して行きました。ヘビが脱皮するところをジーっと観察したこともありました。そんなときにお母さんは「早く行こう」などと急かさないで一緒に待っていてくれました。
さて、みなさんにクイズです。
ヘビの抜け殻を見たことがあるでしょう? その抜け殻の、目のところには穴があいているでしょうか、それともウロコみたいに、目のところもいっしょにむけているでしょうか?
穴が開いていると思う人?(会場挙手)
では、ウロコがついていると思うひと?(会場挙手)
あっ、それは見たことがある人だ。(会場笑)
そう、私も最初穴が開いていると思っていました。人間を考えると「目から鱗が落ちる」などということは諺にはあっても、実際にはないと思っていましたから。そしたら、穴じゃないのね、ちゃんとレンズみたいなウロコがついているのですよ。この辺にもヘビはいますでしょう?

(園長:いますね。でも、抜け殻はあまりないですね)

ない?あら、じゃあ、今日持ってくればよかった。私、いいのを持っているんです。(会場笑)
それを見たとき本当に私、目からウロコ(笑)でしたけどね。レイチェルはそういうのも、じっと見ている子どもだったのですね。
そういう経験、それがずっと彼女の作品の根底に流れているのですね。生き物たちは面白いものだ、そして生き物がもっている「いのち」は、人間だけのものではなくて、どんな生きものにとってもかけがえのないのだということを本当に刷り込まれていたのです。
後年彼女は言っています、「この地球はいのちの糸で編みあげられた美しいネットで覆われている。人間もその網目のひとつである。人間は科学技術という大きな力、恐るべき力を持ってしまったために網目の一つにすぎない存在が大きな力をおよぼして網目にほころびを作ってしまった。編み上げられたネットは、ひとたび綻びができるとどんどんその輪は広がっていってしまう。だから人間は自然に対してもっと謙虚でいなければならない、自分の力だけを信じて奢ってはいけない」、と。
そうした思いの根源は、幼いときに育まれていた、だからこの本『センス・オブ・ワンダー』が書けたのです。

Profile

上遠恵子
1929年生まれ。エッセイスト、レイチェル・カーソン日本協会会長。東京大学農学部農芸化学科研究室、社団法人日本農芸化学会、植物科学調節学会勤務を経て、88年レイチェル・カーソン日本協会を設立。訳書にレイチェル・カーソン著『センス・オブ・ワンダー』、『潮風の下で』、『海辺』などがある。