Harada

#008 原田麻以さん

4. 主体性を生きる

― 一年が経って、一緒に活動する人たちとの関係はどんなふうに変化してきましたか。

原田:最初、わたしは弱小支援者という感じの立場だったんですけど、いろいろな方々といろんなことをやっていく中で一緒にこれからの自分たちの生き方を考えるメンバーという感じになっていきました。
いま福島で活動しているプロジェクト1も、福島のみなさんにお任せすることになりました。いろいろやっていく中で仲間ができてどんどん自分たちのことだからと主体的に動かれるようになってきて、関係性も変わってきたと思います。

― 支援される側でずっといる人とそうでない人の違いは、どんなところにあると感じられていますか。

原田:ずっとサービスを受ける側でいると、思考は衰えていくと思うんです。行政も何も言わないでサービスを届ける側だから、両者が一緒に何かしようというふうにはならないと思います。先日、一緒に活動しているお母さんが、見沼の田んぼ福祉農園2 に参加してきたんですね。それで、これまで参加した保養プログラムは、スケジュールが全部決められていて、自分たちはプロセスに参加できなかったけど、見沼の田んぼ福祉農園は違った。お客さんではなく主体的に動くことを求められた。それがとてもよかったと言ってくれたんです。お客さんになると文句もただ言うだけになってしまう。それだと身体の保養にはなっても、福島に戻ってきてからその人自身の状況は変わらないんですよね。主体性を生きることが大事だと思うんです。でも、そういうことを教えてくれる人も場も少ないと思います。だから、やっぱり人と人、人やものや出来事が出会う場づくりが大切なんだと思います。

― いまは受動的な人も、何かのタイミングで変化していくと考えられているんですね。

原田:タイミングはあると思います。砂がたまるような経験が遅い人も早い人もいると思います。いまは出会ってないけど、これから出会うかもしれないし。だから、釜ヶ崎で活動していたときも、いまも、その人その人のタイミングがあればいいと思っています。そういうタイミングを信じて、その人を信じて、傍らにいることが大切なんじゃないかと思います。
わたしも同じなのでわかるんですけれど、どこかに信じてくれている人がいるということが、支えになるんですよね。だから、ただ信じるっていうことは大事だなあと思います。何かひどいことをしてしまった人がいたとして、その状況に対してはもちろんおかしいと言っていくけれど、その人の存在は肯定されるべきものだと。命に立ちかえったときに、みんな尊いと思う。犯罪者と言われる人たちにも、そのような過程に至ってしまった理由は必ずあるわけで。何かいい出会いがあれば、ささやかでもその人を支える何かがあったなら、異なる選択肢を選んでいたかもしれない。いい出会いやいいサポートを社会の中でつくってあげられなかったことに対して、大人である自分にも責任があると思う。だから、何か問題が起きた時に、そのことに対して自分は何ができるのかと考える前に誰かを攻めたり、否定したりすれば、その矢印はそのまま自分にかえってくるということを忘れたくないと思います。否定のサイクルの先には、いまよりもっと生きづらい社会が待っているだけだと感じています。

  1. ふくしまのいどばたから 話をするところからはじめてみようとおしゃべりカフェや映画を見ておしゃべりをする会、本を読んでまなぶ会などを定期的に開催している。http://kodomofukushima.net/
  2. 見沼田んぼ福祉農園。平成11年にさいたま市の中央に広がる「見沼田んぼ」の一画に開園。5つの福祉団体とボランティア団体など7団体で運営。障害者や高齢者が農作業を通して、交流する場としての活用を目指している。http://homepage2.nifty.com/minumafarm/

Profile

原田 麻以(はらだ まい) 1985 年東京生まれ。大阪西成にある NPO法人こえとことばとこころの部屋スタッフとしてカマン!メディアセンターの立ち上げ、運営を行う。震災後東北にてココルームひとり出張所としてささやかに活動。共著「釜ヶ崎のススメ」洛北出版、「福島と生きる」新評論など。