上遠恵子さん講演再録「いのち」に軸足を置いて

6.「幸せ」になる感性

あるちいさな男の子の話ですが、タネがすごく好きでした。きっかけは、ある日ヤマフジという植物のタネがその子の頭にポコンと当たったこと。石かと思ったらタネだった!ということで、その子はタネのとりこになりました。ヤマフジは豆科の植物でその実は、熟すと莢ははじけてタネを飛ばします。保育園のお散歩の途中などでは、夢中になってタネを探すようになりました。子どもは小さいから地面にあるものをよく見つけるのね。
ただ、その子の母親も父親も仕事があるので、いつもずっと付き合ってはいられないから、タネのことが書いてある本を持ってきて渡しました。男の子は見ているのだけれど、字が読めないので見たことがあるタネの説明がわからない。でもお父さんもお母さんもそばにいないから読んで貰えない、そこでお隣の2年生のお兄ちゃんに教えてもらおうって、小さな子が本を抱えてとことことお兄ちゃんのところへ「教えて?」と頼みました。
おにいちゃんは嬉しいですよね、自分が知っている字を、小さな子に教えられるのですから、そしてかわいい師弟関係ができ、その子はやっと自分が知りたかった字を読めたのでした。
4歳半の子の喜ぶ姿は、字が読めた!わかった!という達成感が溢れていて、まわりの大人が感動してしまったそうです。
「タネ」を通して彼の中にたくさん想像力と創造力がはたらいて、どうしたら字を覚えられるかと考えたのですね。あらゆるものが養われているのだなということを、私はその話を聞いていて思いました。今の社会はちょっと逆転していて、知識偏重のところがありますから、私はもっと感性を大事にした教育になればいいと思っています。

これは、とっても悲しかった経験なのですけれど、アフリカの、飢餓のなかにいる子どもたちが栄養失調で、おなかをすかせてしゃがみこんでいる子どもたちの写真を見ていたときのことです。それを見ていた小学校の高学年くらいの子どもが、「こういうのを自然淘汰っていうんだよね」って、言いました。
もう私、そのときは言葉を失いました。本当に、悲しいとも怒りともつかない、体がワナワナして、本当になんにも言えなくなりました
「自然淘汰」なんて言葉、知らなくたっていい、「この子たちかわいそうだね、どうすればいいの?なんとかならないの?」、っていう子どもに、なってほしかったですね。そういう発言をさせた教育に、ものすごく疑問を感じます。…(涙ぐむ)
…ちょっと感情移入が強すぎましたね、すみません。
そういう風だと戦争に対しても、平和であることの大切さに対しても鈍感になります。いのちというものに対して鈍感になります。センチメンタルだと批判されることもありますけれども、考え方の軸足をどこに置くか、経済に軸足を置くか、いのちに軸足を置くかと聞かれれば、私たちはぜったいにいのちに軸足を置かなければいけないと思います。『センス・オブ・ワンダー』のメインテーマはそういうことでしょう。

私は東京の南のほう、多摩川の近くにずっと住んでいるのですが、子どものころは畑もあり田んぼもありました。春にはレンゲも咲き、夏の夜になると雑木林でフクロウが鳴くような環境でした。
佳子先生に前にお話したことがあるのですが、母がある夜、「ホロスケを呼んでみようか」と、両手の手のひらを組んで息を吹き込んで鳴き声を真似ました。子ども達は、灯りを消して息を殺してしゃがみ込んでいます。すると、遠くのほうで鳴いていたフクロウが、誘われて庭の木にバサッと音がしてやってくるのです。多分そのフクロウはアオバズクというハトぐらいのあまり大きくないフクロウだと思いますが、子ども達は見えないけれども絵本にあるような目がギョロギョロした大きなフクロウが来ているのだと想像して、ドキドキしていました。そのドキドキ感は、80年経った今でも鮮明に思い出せます。
ドキドキしたこと、不思議だなと思ったことのいくつかは、今でも懐かしさを籠めてまるごと思い出されるのですね。そうした体験の効果はすぐには分からないかもしれない。でも今のチビさんたちにいっぱい経験させてあげてください。お母さんといっしょに見た光景が、子どもたちのなかに刷り込まれていく、それは私にとっても財産ですし、子どもたちにとっても財産になると思います。少なくとも私は、そういう思い出を持っているということでとっても幸せです。80ばあさんがそうなのだから嘘ではありません。
そのおかげでしょうね、今でも自然界のこと、花が咲いた、チョウが飛んできた、鳥の囀りを聞いたりするとワクワクします。面白いの。その「面白い」という気持ちを持てることを とても幸せだと思っています。
このように、センス・オブ・ワンダーは、決して幼児期だけで終わるものではありません。なにより20世紀最大の問題提起の書である『沈黙の春』を書いたのが、彼女の本当のセンス・オブ・ワンダーだったと思います。世界には、不条理もあるし、格差もあるし、戦争もあるし、平和の問題もある、いろんな矛盾がありますね、混沌としたものがある。そういうものから目をそらさないこともセンス・オブ・ワンダーだと思うのです。

Profile

上遠恵子
1929年生まれ。エッセイスト、レイチェル・カーソン日本協会会長。東京大学農学部農芸化学科研究室、社団法人日本農芸化学会、植物科学調節学会勤務を経て、88年レイチェル・カーソン日本協会を設立。訳書にレイチェル・カーソン著『センス・オブ・ワンダー』、『潮風の下で』、『海辺』などがある。