4.親子はセットじゃない
―保育園の役割には、子どものケアだけではなく、その家族のケアもあるかと思います。子どもへのケア、家族へのケアでそれぞれ気をつけていることがあれば教えていただきたいです。そもそも親子で利害関係が一致しないこともありますよね…
末永:そうなんです!親子の利害の区別をハッキリさせないまま、親子について話されることが多いように思います。「お母さんのためになることをすれば、無条件に子どものためになる」と信じているように感じますね。
―今の言葉に高い熱量を感じました。何かあったのでしょうか?
末永:病院でも、親子の利害の不一致をたくさん見てきました。私が、こういう共生保育の場を作りたいと思うようになった理由のひとつはそこにあります。
こども病院にから退院できない子どもたちがいました。面会は年に1~2回、兄弟はその子の存在を知らなかったり、家族としての存在を消されているような子どももいました。手術を拒否されて亡くなった子もいました。
―手術すれば生きられたのに、受けさせてもらえなかった、ということですか?
末永:そうです。リスクも低く、ほぼ完治が望めるような手術で、その手術をしなければ命が危険な状態になることが分かっていたのに、家族は手術を拒否しました。「一度手術をしてもまた悪くなって、何度も治療しなければならない可能性はないのか?」と家族に聞かれたら、医師はその可能性がどんなに低くても「ゼロです」とは言えない。「何度も手術をしたり、病気を持ったまま生きていく子どもは不幸だから、手術はしない」と家族は決めたそうです。医師も婦長も一生懸命説得を試みたけれど、うまくいきませんでした。しばらくしてその子は亡くなりました。
赤ちゃんポスト1ってありますよね。私は、こういった子どものためにも、赤ちゃんポストは必要だと思います。もし家族が、病気や障がいのためにその子の命を拒否したとしても、その子が生きられるのであれば、その子のために赤ちゃんポストがあって欲しい。
現在、出生前診断で異常が見つかると9割の人2が、人工中絶を選びます。診断で「可能性がある」というだけで、死なせるほうがいいと思ってしまう。親子の利害関係は対立しているんです。
私は、まず、子どもの命を守りたい。その子どもが、ひとりの人間としてかけがえのない価値を持っているということを大事にしたい。それと同時に、お母さんはお母さんとして、かけがえのない価値を持っている。親子はセットじゃなく、お母さんもひとりの人格者としてケアされるべきだと思います。