# 016 信友智子さん

3.グレーゾーン

自分の学んできたことがどんどん壊されていって、でもそれが爽快で、なんでなんで?って思いながら探求して、36歳の時に、ロンドンにあるテムズバリー大学に留学しました。助産師としての実務経験がある人をエンパワメントするためのコースで、そこには社会人類学者のシーラ・キッツィンガーさんや助産師でイギリスの助産法の確立を牽引したレスリー・ページさんが教授陣に名を連ねていて、彼女たちに直接学びたい一心でした。

どんなことを研究されたんですか?

分娩第二期のプッシング「いきむ」の意味を研究のテーマにしました。陣痛の時に長くいきむと、赤ちゃんの心音は落ちていくんです。いきませることで心音が落ちるから、急いで赤ちゃんを出すために会陰を切除し、赤ちゃんに管をいれて吸入して、背中やおしりをたたいて産声をあげさせる。この行為自体が、どこからきているのか、という疑問からです。文献をあたっていくと、「いきむ」という行為は、イタリアの耳鼻科の先生が内耳に圧をかけるために考案した「バルサルバ法」が起源になっていることがわかってきました。それがいつの間にかお産の現場で採用されて、耳鼻科では残っていないのに、産科医療の現場で残っている。
大学では、ひとつひとつの行為や事象について、クリティカルに考えることを、徹底的に叩きこまれました。科学的根拠があることとないこと、その間のグレーゾーンを見分けること。特に、グレーゾーン、測定できない領域はとても大きいですから、それをどう見るか、事実に基いて整理し、考えていく方法を学びました。

科学的な根拠があるものはそれを提示し、根拠ははっきりしないけれども、経験則として効能がありそうなものは、そのようにわかりやすく伝える。先生の姿勢は、ここで培われたんですね。シーラ・キッツィンガーさんは、バース・エデュケイターの第一人者であり、主体的なお産のムーブメントを牽引してきた方ですが、今年(2015年)お亡くなりになりましたね。シーラさんの授業はどのようなものだったのでしょうか。

シーラさんは、双子を含む5人の子どもの内4人を自宅出産して、その体験をもとに社会人類学者として妊娠と出産について研究し、多くの書籍を残されました。オックスフォード近郊の村にあるシーラさんのお屋敷で授業があって、朝から夕方まで6,7人の大学院生を相手に、お産にまつわる資料を壁に映しながら、授業をしてくれました。シーラさんは世界中に残っている女神像やレリーフなどお産のシーンを象徴したものを集めていて、それを見ると、直立した姿勢や腰掛けた姿勢など、昔の女性の出産時の姿勢がよくわかるんですね。その女性がどのような文化的背景をもっているかによって、助産師がとるべきサポートの方法も変わってくる。シーラさんからは、世界中の産育風俗について学びました。

先生は、代替療法についても産婦さんの希望に合わせて提案されますが、代替療法との出会いについて教えてください。

鍼灸については、30代半ば頃にで京都にある鍼灸大学の先生のレクチャーを受けたのが最初でした。当時日本では、マタニティーに鍼灸をとりいれているところは、ほとんどなかったですね。イギリスでは、留学前に語学研修を半年間受けたんですが、英語の勉強ばかりだとおもしろくないので、国営病院を視察させてもらったんです。そしたら、そこで鍼灸も取り扱っている助産師さんと出会って、どんなふうに治療してるのか仕事についてまわらせてもらったことがありました。彼女は、国から認められて、妊婦さんの症状に合わせて鍼灸を施していて、陣痛期に鍼をすることもありました。イギリスでは代替医療も、本人が望めば、受けられるようになってましたね。いまはどうなっているかわかりませんが、当時は鍼灸も医療行為として補助されると言っていました。

私は、鍼灸やホメオパシー、ハーブなどの代替療法は、ないものを与えるというものではなくて、本来こうなるだろう、という経過を促進するための、促進剤として穏やかな作用をきたすものだと考えて、妊婦さんが希望する場合は活用しています。
医師は、薬やメスを使いますが、助産師は、そうしたものを使わないで、女性の出産がスムーズにいくようにサポートします。だからこそ、身体を侵襲しない、ありとあらゆるものを駆使すればいいのではないかと思うんです。エビデンスが出てないからといって全て否定すべきとは思いません。グレーゾーンを扱うからこそ助産師だと思うし、だからこそ、産婦さんにしっかり寄り添う、ずっと追随していく姿勢が必要なんです。

代替療法も選択肢のひとつとして、賢く活用できるようになっていくといいと思います。これだけしか認めないのではなくて、あれこれ組み合わせていくようなことができていくといいですね。

自然の強さと危うさとリカバーできるところとできないところ、そのこともわかりつつ、常に学びながら揺れ続けるのが健全ではないかと思います。目の前のおかあさんと赤ちゃんにとって、どんなサポートが最も幸せなのかを常に考えること。そして、助産師が自分自身の価値観を頼りすぎない、ということも重要だと思っています。
どんなことでもこれしか認めないとなると、攻撃的になるし、他者を認めなくなってしまいます。同じ考えを持った人たちだけで、閉じられてしまうのももったいないですしね。常に中庸であろうとすることは、体力も知力も要求されますけど。

Profile

信友智子(のぶともさとこ)
助産師・春日助産院院長

開業助産師の二女として育ち、大学で助産師の資格を取得。卒業後、神奈川県の北里大学医学部付属病院産科病棟に勤務。1984年からは福岡逓信病院産婦人科病棟に勤務する傍ら、春日助産院にも勤務。2年後に病院を退職。1998年、イギリスのテムズバリー大学助産学修士コースカリキュラム終了。2005年、春日助産院の2代目院長に就任。2014年、新たな助産院の展開を目指して、同県秋月に茅葺きの家を建て、自然豊かな環境で生命を迎える「春日助産院 秋月養生処」を開院。2011年、第33回母子保健奨励賞を受賞。

春日助産院HP