#012 多田千尋さん

4.「社会的装置」として引き継ぐ

—多田さんご自身は子どものころ、どんなおもちゃで遊んでいたんですか?

多田:僕、おもちゃなんてほとんど遊んでないんです。

—お父様の多田信作さん1 も、玩具の研究者でいらして。

多田:だめだめ、うちは、ほったらかし(笑)。外では専門家だったけどね。

—おもちゃは身のまわりにはあったんですか?

多田:ほとんどないですね。僕、家のなかで遊ぶのは大嫌いだったんですよ。外でいつも遊んでたんです。野球とか鬼ごっことか、アウトドア中心型でね、雨が降ってくるとユウウツになるっていう(笑)。唯一遊んだのは、レゴブロックとかコマとか、それぐらいだったかなあ。あとは小学生くらいになると、人生ゲームとか、バンカースなんて知ってる? そういうボードゲームくらいかな。要するに、友達と関わって遊ぶほうが好きだったんですよね。

東京おもちゃ美術館

でもまあ、基本的には、ちょっとでも時間見つけると野球ばっかり。それなのに、水曜日の午後3時になると、ピアノのお稽古に行かされてたんですよ。これがもう嫌で嫌で! じつはね、さっきの、ピアノが役に立たなかったって、あれ、じつはうちのハナシ(笑)。だって、抵抗して絶対に家では練習しませんでしたから。結構長いことやらされましたけど、身につくわけないですよね。モチベーションがなけりゃ、良い道具があっても何も役に立たないって、身をもって実感しましたね(笑)。

でね、大きな声じゃ言えないけど、今も僕、おもちゃはそんなに好きじゃないです。

—えっ!

多田:あのね、おもちゃって、あんまり好きになっちゃうと、こういう、人に遊んでもらうようなおもちゃ美術館なんて、できなくなっちゃうんですよ。
とくに大人がおもちゃ好きだとね、だいたい、コレクションに走っていっちゃったり、あるいは積み木でパフォーマンスかなんかするような人になっていっちゃいがちで。

—俯瞰してみられなくなってしまう。

多田:そう、すごい狭いところにいっちゃう。だから私が、父からこの「東京おもちゃ美術館」を引き継いだとき、おもちゃというものをフィルターにした、ひとつの社会的装置と捉えようと最初から考えていました。おもちゃ美術館=子どもの施設でもなく、「多世代交流の館」であるということを、ボランティアやスタッフで関わる人にも徹底して伝えたんです。そうしてここから、どんな社会的活動を発信できるか。その媒介として、おもちゃを活用しているだけなんです。

  1. 美術教育の研究者であり、東京おもちゃ美術館初代館長

Profile

多田 千尋(ただ ちひろ)1961年東京生まれ。明治大学卒業後、ロシア・プーシキン大学に留学し、幼児教育、児童文化を学ぶ。芸術教育研究所所長、東京おもちゃ美術館館長、高齢者アクティビティ開発センターの代表を務めるほか、認定NPO法人日本グッド・トイ委員会理事長、早稲田大学福祉文化論講師でもある。著書は『遊びが育てる世代間交流』『世界の玩具辞典』など多数。