Harada

#008 原田麻以さん

2. 名前をもった「あなた」と出会う

― 人のことを自分のこととして考える、という態度はいつ頃から意識されるようになりましたか。

原田:大学3年生くらいまでは、そんなふうには全然考えていませんでした。電車の中で障害者の方にあっただけで、「こわい」とか「気持ちわるい」とか思っていたんです。でも、大学4年生の頃がターニングポイントになったと思うんですが、いくつかの出会いによって徐々に砂がたまっていくような感じで変化していきました。最初のきっかけは、大学のゼミの先生です。中学生くらいまではすごいガリ勉で、地元では「勉強ができるまいちゃん」って言われてたんです。でも、高校生になって受験勉強が嫌で、大学は明治学院大学に進学した。そのことを、自分のプライドが許さなかったんですね。だから、最高学歴がもっといい大学であれば、みんなが認めてくれるだろうと思って、いい大学院に入ろうと思ったんです。それで、大学院受験をするためのゼミに入ったんですけど、ゼミの先生に無視されたんです(笑)。先生には、なぜ大学院に行きたいかということも、自分のことしか考えていないということも、すべて見透かされていたんだと思います。なぜこんな仕打ちを受けるんだろうって考えて、ある日先生に「ゼミのみんなのことを考えて先生のお手伝いをするところからやろうと思うんです」って声をかけたら、その日から先生の態度が変わったんです。自分のことしか考えていなかったことに気づかせてもらえたことは、大きかったですね。

― その後、どんな出会いがあったんですか。

原田:ふたつ大きな出会いがあったのですが、ひとつは教育実習のカリキュラムの一環で、特別支援学校に行ったことです。行くのもすごく嫌で、子どもたちに「障害者」というレッテルを貼って、妙にやさしくすることしかできなかったんです。そういうのってすぐに伝わるので、誰も相手にしてくれませんでした。数日通う内に、自分の接し方のまずさに気がついて、普通にそこにいる「あなた」として接するようにしたんですね。変にやさしくするのではなく、普通にのりつっこみしたり(笑)。そしたら、仲良くなれたんです。脳性まひの女の子の担当になって、何をするでもなくベランダで風にあたってみたり。そういう時間が信じられないくらい心地よくて。
いまから考えると、子どもの頃からずっと生きづらさを感じていて、地面に足をついて立っている感覚がないというか、自分の居場所がない、ふわふわ浮いているような感じで、すごくしんどかったんです。子どもたちと過ごす時間の中に、自分の居場所を見つけたというか、はじめて深呼吸できたような感覚がありました。

― 「こわい」と思っていたのに、大きな変化ですね。

原田:これまではわからない存在だったからこわかったんだと思います。でも、名前をもった「あなた」として出会えたことで大きく変わりました。こんなに素敵な人たちが、社会の中で排除されたり、生きにくいと感じているのであれば、それは自分の問題として一緒に考えていきたいし、なんとかしたいなと思うようになったんです。とはいっても、私は彼らのことを「気持悪い」と思っていた当事者ですから、そういうふうに思っている人たちが一概に「悪い」とも思えない。だから、自分のことばっかり考えていた私が、他人と共にあるほうが楽しいんだと気づいたように、いろんな人が出会う場所をつくりたいと思うようになりました。そのことが今の仕事にもつながっていると思います。

― もうひとつの出会いについても教えて下さい。

原田:実家の近くにあるコンビニとの出会いです。そこは定休日のある家族経営のコンビニだったんですけど、障害者の人が遊びに来て、陳列を直したりしてくれるんです。そうしたときに止めることなく「ありがとう」と受けとめる。子どもが店内を走りまわっていてもそのままにしているし、店長の子ども(小学生)がレジ打ちしたりしているんです。探している商品がないお客さんがいたら、家から探してきて「お金はいらないから」ってお客さんにあげたりするんですよ(笑)。毎日が驚きの連続で、これはすごい!と思ったんです。
いろんな人がいるんだけど、全員が当たり前に「おはよう」と声をかけあっている時間の心地よさといったらなかったですね。「おはよう」の中に、「あなたがそこにいてくれることにありがとう」という気持ちがこもっている感じがして。そういう人と人との在り方に、強い影響を受けました。

Profile

原田 麻以(はらだ まい) 1985 年東京生まれ。大阪西成にある NPO法人こえとことばとこころの部屋スタッフとしてカマン!メディアセンターの立ち上げ、運営を行う。震災後東北にてココルームひとり出張所としてささやかに活動。共著「釜ヶ崎のススメ」洛北出版、「福島と生きる」新評論など。