西村佳哲さんインタビュー

#001 西村 佳哲さん

3. 葉っぱ2枚との出会い

遠藤:西村さんの子ども時代のことをお聞きしたいんですけど、印象的な出来事とか育った環境のことなど教えてください。

西村:それはいろいろあります。大学の授業 1 の中で、子どもの頃、訳もなく好きだった「もの」とか「場所」をたくさん書き出してみるっていうプログラムをやることがあるんです。そうすると、本当に際限なく出てくるんだよね。押入れが好きだったなとか、積み木を並べてドミノ倒ししていくときの感じが好きだったなとか。そういった一つ一つが、自分が今、何かをつくったり、何か判断する時の基準になってると思うし、つくりたいものを支えている気がします。

育った環境はというと、僕は長男で、5歳年下の妹がいて、親父は単身赴任が多くて、うちの母親はお店やってて。だから、割と一人遊びが多かったと思う。小中高ってエスカレーターで私立に行っちゃって、そこが家から1時間半ぐらいのところにあったから、近所にあんまり友達いなくてね。

遠藤:どんなことがきっかけで、美術大学に入られたんですか?

西村:高校生時代の僕は落第生で、学校に行っても授業が分からないし、つまらないので、ちょっとでも遅刻しそうになると行かなかったんですよね。何やってたかっていうと、映画館に行ってたんです。ある時『ぴあ』を見てたら、自主映画っていう欄があることに気付いてね。参加費が大体どれも、500 円とか 600 円とか設定してあるわけ。その中に、葉っぱ二枚って書いてあるのがあったんですよ。その団体が『ムービーメイト 100%』っていうダサイ名前で、でもすごい興味を持ったんですよね。「これ行ってみよう」と思って、池袋の区民会館にいったんです。植え込みの葉っぱ2枚ちぎって渡したら、そのまま通してくれて、彼らがつくった映画をみたんですね。

そのグループは僕よりもちょっと年上の人たちで、手塚治虫の息子さんの手塚 眞さんとか、そのあと脚本家になった人だとか、いろんな人たちがいてね。そこに足繁く通って、一緒に椅子を並べたりとか、彼らのつくる映画に出演したりとかっていうことを、高校生の頃ずっとやってたんです。

それで、高校3年生の夏休み過ぎた時にやっと美大に進むことを決めたんですよ。そう思えたのは、多分彼らに出会ってたからじゃないかなと思う。でも、結局現役で入れなくてね。1年美術の予備校に行ってたんだけど、その時に、大友克洋さんと出会って、映画の撮影をいろいろ手伝わせてもらったりしてました。僕は 19 歳で、大友さんが29歳。その映画を撮り終わって、大友さんはヤングマガジンに「AKIRA」を描き始めた。その頃、僕は大学に受かって、武蔵美からの帰りに大友さんの事務所に行っては、「AKIRA」を描いてるのを横で見てた。

遠藤:映像からというのが、意外ですね。

西村:そうですか。自分よりちょっと年上で、ものをつくってる人たちのそばにいて、彼らがどんなふうに遊んでるのかとか、仕事してるときにどんなふうに集中してるのかとか、横でみてるわけですよ。考えてみると、あれはリッチな時間でしたね。その時のことが、いま支えになってると思います。

  1. 大学の授業 1998年頃から、いくつかの大学でデザインやデザイン・プランニングについて教えている。その軸にあたるのが、多摩美術大学で毎年1月に行っている「プレデザイン」という授業。「つくる」を前提にしない授業を試みている。

Profile

西村 佳哲(にしむら よしあき) プランニング・ディレクター 1964年東京生まれ。武蔵野美術大学卒。 つくる・書く・教える、三種類の仕事。建築分野を経て、ウェブサイトやミュージアム展示物、公共空間のメディアづくりなど、各種デザインプロジェクトの企画・制作ディレクションを重ねる。 多摩美術大学をはじめいくつかの教育機関で、デザイン・プランニングの講義やワークショップを担当。リビングワールド代表(取締役)。全国教育系ワークショップフォーラム実行委員長(2002〜04)。働き方研究家としての著書に『自分の仕事をつくる』(ちくま文庫)、近著に「自分をいかして生きる」(バジリコ出版)がある。 リビングワールド以前の仕事「センソリウム」(1996〜98)は、オーストリア・Ars Erectronica CenterのPRIX ’97|.net部門で金賞を受賞。(プロジェクト・チームでの受賞。全体のマネージメントと企画・制作のディレクションを担当。 http://livingworld.net