わたしは泣かなくなった

子どもを寝かしつけて、自分もうとうとしかけていた時、家の外から男の子の泣く声が聞こえてきた。「おかあさん、ごめんなさい。おかあさん、ごめんなさい」とずっと繰り返している。咄嗟に飴をポケットにいれて、外に出た。声のする家の前に着くと、子どもは外に出されているのではなく、家の中で(多分玄関で)泣いていた。わたしは、その家の前でただうろうろして、結局何もできずに自分の家に戻った。その後、泣き声は10分ほどして止んだ。

その出来事から、忘れていた子ども時代の記憶、母に怒られて玄関やベランダの外に出されていたことを思い出した。2歳年上の兄と一緒に、出されることもあれば、一人の時もあった。何をして怒られたのか、どうやって母が許してくれたのか、どんなふうに家にいれてもらったのかは全く覚えていない。でも、怒られて、腕を強く掴まれ、放り出されるようにして玄関の外に出され、大きな音をたててドアが閉められたこと。そして、「おかあさん、ごめんなさい。おかあさん、ごめんなさい」と、兄と一緒にいつまでも泣いていたことは覚えている。少しずつ喉が痛くなってくる感覚も。

そして、ある時から、わたしは泣かなくなった。外に出されると、そのまま寝るようになったのだ。それは大抵、夕方か夜で、家は通りから少し入ったところにあったので、誰の目にもつかなかった。玄関のドアの前には確かタイル貼りのたたきがあって、そこを少し手で払ってから、丸くなって眠る。最初は冷たいタイルも、段々暖かくなってくる。靴を履いてないので、足はなかなか暖まらなかった。眠るようになったのは、諦めたのでも、反抗したのでもなく、ただ、目の前で起きている現実から離れたい、というような気持ちからだったような気がする。

非対称な関係は、支配者と被支配者の関係へとあっという間に転がる。そして、支配している側は、被支配者の悲痛の声にさらに支配する力を得ることがあるのではないか。そうして、自分で止められないような力が作用してしまうことがあって、それが母を転がしていたんじゃないか。

母はどんな顔をして、玄関の扉を開けたのだろうか。
裸足で眠るわたしをみて、何を思っただろうか。

(遠藤)

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