おかあさんという「おまもり」

手と木の実

西澤哲さんの著書『子ども虐待』を読んだ。とても読みやすくて、子ども虐待の現状を知る上での入門書として最適だと思う。中でも、第6章の「アタッチメントと虐待」の中の「内的ワーキング・モデル」という言葉に接して、深呼吸するようにその理論が染みこんできた。

まずは、基本情報。ということで、『子ども虐待』より、アタッチメントについての説明を抜粋。


アタッチメントとは、児童精神科医ジョン・ボウルビーによって理論化された、子どもの誕生直後から形成される養育者への強い本能的な結びつきのこと。何か怖いこと、びっくりすることがあって、子どもが養育者に接近する行動を「アタッチメント行動」という。
アタッチメント行動の基本的な機能とは、子どもが情緒的に不安定な状態になった際に、情緒的安定性を回復することにある。

で、ここからが「内的ワーキング・モデル」について(本文抜粋)。


通常、乳幼児のアタッチメント行動は、成長とともに減少していく。乳児や幼児期初期の子どもは常に親を求め、あるいはくっついていたがるが、三、四歳になると親から離れて遊んでいられる時間が長くなる。小学校に上がる頃には、日中の大半は親から離れて過ごすことができるようになる。
このように、アタッチメント行動は発達に伴って少なくなっていくが、これは、アタッチメント自体が弱まっていることを意味するわけではない。アタッチメント行動の現象に並行して、それに関連したいま一つの現象が進行することになる。
その現象とは、アタッチメント対象のイメージが子どもの心のなかに住むようになる、つまり内在化されていくというものである。ボウルビーは、これを「内的ワーキング・モデル」と呼んだ。(省略)子どもは、アタッチメント対象の内在化により、それまでは自己の外にあった安定性の「基地」を、自己の内部に備えることが可能になるのだ。

ほとんどの場合、主な養育者である「おかあさん」が、子どもの中に内在化することになるのだと思う。ブリティッシュ・カウンシルの調査で、最も美しい英単語のベスト1に「Mother」が選ばれていたのも、この現象を知って、なるほど進化論的帰結なのかと納得した。

加えて内的ワーキング・モデルは、以下のような発達をも子どもにもたらす。


◯見張り機能の役割

子どもの抽象的道徳観の発達は、9.10歳の頃からはじまると考えられているが、それは学習によって獲得される道徳観である。しかし、それ以前に子どもの行動のコントロールにつながる道徳観としては、アタッチメント対象の心的イメージの内在化による見張り機能が必要となると考えられる。子どもは心的イメージによって、「見張られている」ような認知・感情状態になり、自発的に行動をコントロールする。

◯共感性の発達

アタッチメント対象の心的イメージが明確であれば、その対象の感情もより明確に想像することができるようになる。具体的に言えば、親が怒っているところ悲しんでいるところ、あるいは喜んでいるところをいきいきと想像できるようになり、それを通して、親の感情状態を共有できるようになる。これが他者の感情を自分のものとして感じる共感性の発達の基礎になる。

怒り、悲しみ、喜び、言葉、養育者のすべてを子どもは蓄えて、いつしかそれを自然化し、望むと望まざるとに関わらず、持ち続けることになる。目に見えない「お守り」みたいなものを子どもたちは少しづつ心の中につくっていく。

そんなこと言われたって、という気もする一方で、言われてみれば、わたしも母によって「お守り」のバトンを確かに受け取ってきたと思う。不安な時、何か心配なことがあった時、無意識に「おかあさん」と心の中で唱える。そうすると、ふわっと気持ちが和らぐ。「大丈夫だよ」と言われている気がする。だから、子育ての中でイライラや怒りを抱えた時に「わたしはこの子のお守りになるんだ」と唱えてみよう。そうすれば、抑止効果が少しはあるかもしれない。

 

最後に、こうして新しい知識を共有しておいてなんですが、知識を得ることによってプラスもあればマイナスもあると思う。子どものことは、子どもに学ぶのが本当は一番いいし、そう思えば、おかあさんが一番の我が子の専門家であるはずだ。子どもには「動物的なものを失わないように」と思うくせに、自分はどうだろうと振り返る。
人になにを言われようとも、わたしが一番子どものことをわかってますと胸を張る。わたしにお守りをくれた母は、そんなふうにわたしを育ててくれたんじゃなかったか。
(遠藤)